9秒台はお預け! 「桐生クン」実家はトロフィーより空手バカ一代
いかな天才スプリンターといえど、全てのレースで“夢の記録”を期待されるのはキツかろう。それでも、桐生祥秀選手(19)は、見せ場なく終わった戦いについて「欲が足りなかった」と率直に振り返った。空手好きの父親に育てられた少年はいま、100メートル9秒台という日本陸上界の宿願に立ち向かっている。
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今月19日、広島市で開催された「織田幹雄記念国際大会」は、例年とは比較にならないほどの熱気に包まれていた。
全国紙の運動部デスクによれば、
「桐生選手は先月、テキサス州で行われた大会で、追い風参考ながら9秒87という驚異的な記録を叩き出したばかり。今回の大会では公認記録で10秒の壁を破る可能性があった。日本人どころか黄色人種として初の快挙ですから、ほぼ全てのテレビ局が会場にカメラを出し、一般紙も“号外”の予定稿を準備していました」
しかし、結果は9秒台に遠く及ばない“10秒40”。観衆が“世紀の瞬間”を目にすることはなく、着順も2位タイに甘んじた。
あまりにも想定外の惨敗には、元100メートル日本記録保持者で、「TEAM不破」代表理事の不破弘樹氏も驚きを隠せない。
「レース直前に雨脚が強まったり、スタートがやり直しになったことで集中が途切れたのだと思います。ただ、国内で他の選手に負けるとは予想していなかった。惨憺たる成績に終わった理由はメンタル面でしょう。テキサスの大会では、ロンドン五輪の入賞者と競う“挑戦者”でしたが、今回は“追われる”立場なので焦りや動揺があった」
■『燃えよドラゴン』も
もちろん、桐生選手が最も9秒台に近い日本人選手なのは間違いない。
東京五輪での活躍を期待されるまでに成長した若きスピードスターはしかし、親が五輪選手だった室伏広治や塚原直也のようなサラブレッドではなかった。
滋賀県彦根市に住む両親に取材したスポーツ紙記者が明かす。
「地元の大手スーパーで働くお父さんは、学生時代に空手をしていたものの全国区の選手ではなく、お母さんのスポーツ歴はママさんバレー程度。2人とも陸上競技の知識はほとんどなかった。実家のリビングにはお父さんの趣味で『空手バカ一代』といった空手関連の本や、ブルース・リー主演の『燃えよドラゴン』のDVDが並ぶ一方、桐生選手の賞状やトロフィーは飾られていませんでした」
小学校時代はサッカー少年だった桐生選手だが、
「気が優しくて、すぐにボールを奪われてしまう。それでお父さんに個人競技を勧められ、中学では4歳年上のお兄さんが所属していた陸上部に入った。彼の代名詞“ジェット桐生”は元々、俊足で有名だったお兄さんのあだ名なんです」(同)
陸上部で顧問を務めた大橋聖一氏が続ける。
「中学2年までの桐生君はずば抜けて速いわけじゃないし、ケガや腰痛に悩まされ、同じ学年の選手よりも練習量は少なかった。ただ、体幹が強いので短距離の素質はありましたね」
ところが、息子の才能を持ち上げられた両親は“体幹”の意味すら分からなかったという。すでに競技生活を引退した兄も淡々としたもので、
「弟とは正月に会って以来です。アメリカで9秒台を出したことは知っていますが、電話で労(ねぎら)ったりはしませんね。そもそもお互いに喋らない性格なんですよ」
父親が好きな空手ではなく、“陸上バカ一代”として大記録に挑む。