【特別読物】「橋下徹」市長の「大阪都構想」住民投票は憲法違反だ!――薬師院仁志(帝塚山学院大学教授)

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「大阪都構想」の前哨戦である大阪府議選、市議選が4月3日に告示された。「所詮、大阪の話」と片付けられがちだが、橋下行政に詳しい帝塚山学院大学の薬師院仁志教授(社会学)は、都構想の是非を問う住民投票は違憲であり、国全体で考えるべき問題だと指摘する。

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 大阪府民には大阪都構想に賛成する者も多い――。

 この文章には大きな誤りがあります。「賛成」ではなく「反対」の間違いなのではないか、いや「多い」ではなく「かなり多い」なのではないか。残念ながら、いずれの解答例も間違っています。正答はこうです。

 そもそも、府民は都構想について意思表示すらできない。ゆえに、府民が都構想に賛成しているのか、反対しているのかという問いそのものが意味をなさない。

 狐につままれたような思いを抱かれるかもしれませんが、これが真実です。都構想を巡る住民投票に参加できるのは、府民全員ではなく大阪市民だけ。この点に、大阪府が大阪都になると「勘違い」されている都構想の欺瞞が集約されているのではないでしょうか。

 維新の党の最高顧問にして大阪市長の橋下徹氏が、否決されれば「政治家を辞めます」と明言して臨む、大阪都構想を巡る住民投票が5月17日に迫っています。各種の世論調査では賛否が拮抗し、住民投票の行方は予断を許さない情勢ですが、3月14、15日に産経新聞が実施した世論調査では、賛否を判断する以前に、橋下氏の説明が「十分ではない」と感じている人が70%にも達しています。その象徴が、先に触れた大阪都構想の成否は府民全体に委ねられているという「誤解」でしょう。

 では都構想とは、そしてそれを問う住民投票とは一体何なのか。憲法違反の疑いを孕(はら)んだ、その問題点を検証してみたいと思います。

 まず、仮に住民投票で都構想への賛成が反対を上回っても、大阪府は大阪府のままで、大阪都になるわけではありません。今回の住民投票で問われるのは、人口約270万の大阪市を5つの特別区(北区、中央区、東区、南区、湾岸区)に分割するか否かの一点だからです。つまり、あくまで「大阪市」を解体することの是非のみがテーマなのであり、「大阪府」全体の枠組みをどうするのかは何ら問われないのです。ゆえに、投票権は府民ではなく市民に限られるのですが、それを維新は「都構想」と呼んで憚(はばか)らない。ミスリードと言わざるを得ません。

 なお、府から都に名前を変えるには、地方自治法の規定により、新たな立法措置を必要とします。いずれにせよ、今回の住民投票は大阪府を大阪都にすることとは全く関係がないのです。

 このように、都構想という「大きな」響きとはかけ離れ、実態は大阪市の解体という「小さな」話になっているわけですが、それはなぜなのか。当初、橋下氏は大阪市だけでなく、近隣の都市も巻き込んでの再編を目論んでいました。ところが大阪市に隣接し、府内で大阪市に次ぐ約84万の人口を擁する堺市などが再編に「ノー」を突き付けた結果、大阪市という一都市をどう「区分け」するのかといった問題に「矮小化」せざるを得なかったのです。

 しかし、住民投票で問われるのが「小さな」話であっても、そこに内在する問題は決して小さなものではなく、大阪市民でもある私としては看過できません。

 例えば、都構想なるものの目指すところは府と市の二重行政の解消、それに伴う効率化でした。しかし、大阪市が5つの特別区に分かれることによって、当然、それぞれに区役所が必要になる。事実、いくつかの区では既存の建物では用をなさず、新たに区役所を建設する必要に迫られ、二重行政の解消で財源が生まれるどころか、実際は大阪市解体から5年間で1071億円の収支不足が生じると、都構想の設計を担当する「府市大都市局」自身が試算しています。

 また、5つの特別区に分けた場合、それまで大阪市が担っていた行政事務を、それぞれの区が単独で遂行しなければならなくなります。とはいえ、例えば水道管は5つの区を跨(また)ぐ形で繋がっているので、従来の大阪市役所のように、5つの区の行政を統括する組織がどうしても必要になります。

 維新は、各区単体ではカバーできない「一部」の事務を担当する組織として、「一部事務組合」なるものを作り、そこで「旧大阪市」地域全体に関係する行政サービスを担うとしています。ところが、この一部事務組合が扱う事務は、実に100以上の多岐に亘る。これでは「一部」ではなく「全部事務組合」です。効率化とはほど遠い。

 さらに当初、維新側は都構想のメリットとして、人口30万程度の特別区に分割することによって、より身近な行政サービスを住民に提供できるという点を挙げていました。しかし、いざ蓋を開けてみると、新たに維新が誕生させようとしている5つの特別区のうち、北区や南区は人口60万を超えることになります。これで、どうやって「身近な行政サービス」を提供できるのでしょうか。

 加えるならば、「新5区」の一つである湾岸区の人口は34万になる計算ですが、区議会議員はたったの12人。大阪市解体、すなわち新5区設置に伴う経費を抑える狙いから、現大阪市の市議の数を増やすことなく、そのまま5つの区に振り分ける結果ですが、人口が同規模の東京都北区の区議定数は40です。目配りの行き届いた身近な行政サービスを重要視するのであれば、この3分の1以下の12人の区議で、34万の「湾岸区住民」にそれを提供できるとは到底思えません。

■大阪府が活性化する?

 なぜこんなことになるのかと言うと、前述したように堺市などが都構想に賛同せず、大阪市だけの再編になってしまい、思うような区分けができなかったからです。他市も都構想に参加していたとすれば、もう少し柔軟な人口配分に基づいた区分けもできたのでしょうが、大阪市だけでは、経費の問題などから5つ以上に細かく分けることが叶わなかった。しかし、その結果が「人口34万で議員12人」という歪(いびつ)な特別区でした。他市を含めた「大きな再編」が既に頓挫しているにも拘(かかわ)らず、形だけでも都構想なるものを推進しなければならないという「橋下維新のメンツ」を保とうとしたがために、まさに形骸化した新5区が計画されてしまった。これで大阪市、ひいては大阪府が活性化すると思えないのは、私だけではないでしょう。

 以上、維新が固執する都構想の問題点のごく一部を紹介しましたが、大阪市民以外の方の中には、「率直に言って、大阪市がどうなろうと知ったことではない。住民投票で賛成するも反対するも、大阪市民で勝手にやってくれ」と思われる人もいるかもしれません。しかし、今回のような住民投票が罷(まか)り通れば、大阪市民に限らず、あらゆる自治体、共同体の住民にとって禍根を残すことになりかねないのです。というのも、都構想の是非を問う住民投票そのものが憲法違反に該当する可能性大だからです。

 自治体のあり方、運命を決める住民投票で思い出されるのは、直近では昨年9月の「スコットランド独立住民投票」でしょう。スコットランドのイギリスからの独立を問う住民投票は、独立賛成が44・7%だったのに対して反対は55・3%となり、独立は否決される結果となりました。

 自分たちの共同体の運命を、自分たちの意思で決める――。地方自治の観点から、この住民投票自体の「正当性」は疑う余地がありません。賛成派も反対派も「共同体の一員」である以上、そこの地域住民はまさに運命共同体であるわけですから、住民投票によって下されたその共同体の意思には、いずれの派も従い、甘受しなければならない。地方自治、あるいは民主主義とはそういうものです。

■自己決定とは

 ところが、今回の住民投票は、これとは性格を異にします。なぜならば、「自分たちの共同体」の運命が、「よその共同体」の意思によって決められてしまうからです。

 例えば、新5区のうち、湾岸区に組み込まれる住民の投票結果が反対多数、つまり「都構想ノー」だったとします。しかし、残りの4区で賛成多数となれば、都構想は実行されてしまう。人口約34万の湾岸区の意思では、人口約236万を誇る残り4区の意思を覆(くつがえ)すことはできません。

 仮にこの通りの住民投票の結果が出た場合、湾岸区の住民は「よその共同体」の意思によって運命を決められてしまうことになります。湾岸区とは異なる共同体である北区、中央区、東区、南区の住民が、「あなたたちは湾岸区になりなさい」と「よその共同体」である湾岸区の運命を決める。

 2000年に政府の第26次地方制度調査会が、住民投票を「自己決定・自己責任」の方策と示したことに照らしても、自己決定でも自己責任でもない都構想の是非を問う住民投票は、その実施自体に問題があると指摘せざるを得ません。

 さらに、先の湾岸区の例を持ち出せば、乱暴な言い方になりますが、湾岸区に組み込まれる住民は投票してもしなくても関係ないことになります。いくら「湾岸区住民」が抵抗しても、既に説明した通り「残り4区住民」の数の力には端から勝てない仕組みになっているからです。やはり、湾岸区住民には何ら自己決定権がないと断じるしかありません。彼らの1票の重さは残り4区住民のそれより軽いどころか、重さそのものを持っていない、つまり湾岸区住民の1票は実は0票ということになるのです。

 現在、衆議院選挙における1票の格差が2倍以上になっていると問題視され、高裁の中には「違憲」「違憲状態」との判断を下しているところもあります。ならば、格差が2倍以上というレベルを遥かに超え、湾岸区住民は事実上、投票権を与えられていないことになるかもしれない今回の住民投票は、憲法で定められた法の下の平等の原則を逸脱した、憲法違反以外の何物でもありません。

 これは何も仮定の話ではない。実際、3月中旬に実施された毎日新聞の世論調査によれば、北区や中央区では都構想賛成が多数でしたが、「湾岸区住民」における賛成は37%に対し、反対は51%と大きく上回っています。湾岸区地域は経済的に裕福とは言えず、大きな大阪市から切り離されるとやっていけないのではとの不安が住民の中にあるのかもしれません。いずれにしても、これまで見てきたように、「自分たちの共同体」の多数派であるはずのこの反対意思は、残念ながら何の意味も持たない可能性があるのです。今回の住民投票は「維新」が勢いを持っていた2012年8月に、彼らが望み、成立した法律に依拠して行われますが、こうした問題が拭い去れない以上、都構想の成否を住民投票に委ねるのではなく、住民投票はあくまで「参考」にし、それをよく吟味した上で議会で決めるというのが本来は適当なのではないでしょうか。

 このような住民投票が、果たして跋扈(ばっこ)していいのかどうか。都構想を巡る住民投票を、大阪市民だけではなく、全国民が注視すべきだと私が考える所以(ゆえん)はここにあります。

薬師院仁志(やくしいん・ひとし)
1961年、大阪市生まれ。現代社会論、教育社会学を専門とし、大阪府知事時代から橋下氏の政治手法をウォッチし続けている。共著に『橋下主義(ハシズム)を許すな!』。

週刊新潮 2015年4月16日号掲載

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