特別対談 浅田次郎vs丹羽宇一郎(元伊藤忠商事会長) 日本人商社マンが輝いていた時代がある
■欠落した150年間
丹羽 日本だけではなく、どこの国でも近現代史を本当に教えられるようになるまで100年はかかると思います。そうは言っても1931年に満州事変が、37年には支那事変が起きて、その背景にこうした出来事があった、という歴史的な事実は教えるべきでしょう。
浅田 僕は色んな小説を書いているようで、実はここ150年間の日本と中国の歴史しか描いていません。これは自分のなかで欠落した150年なんです。誰からも教わっていないから興味を抱いて、自分なりに勉強して小説の素材にしている。とはいえ、中国の近現代史は非常に難しい。
丹羽 その通りだと思います。歴史についてはなかなか善悪は語れませんが、少なくとも事実は伝えなくてはいけない。
浅田 もちろん、歴史観という意味では日本だけでなく、中国やアメリカでも議論はありますから。しかし、丹羽さんは最も酷い時代のアメリカに9年間も駐在して、その後、反日感情が最悪の時期に中国大使として赴任されましたよね。
丹羽 いつも最悪なんです(笑)。伊藤忠の社長時代も最悪でしたから。それが徐々に良くなっていく。
浅田 そこがすごいですよ。
丹羽 DNA情報で考えれば、人間の個体差は0・1%で残りの99・9%は同じです。あとは国ごとの生活環境や、歴史の積み重ねで生じる多少の違いしかない。
浅田 だからこそ、日本人の常識で全ての善悪を決めつけてはいけないと思います。以前、中国を旅行した時にこんなことがありました。紫禁城の周りに観光用の人力車が停まっていますよね。僕が車夫と値段を交渉して、同行者と2人で乗り込みました。それで紫禁城を1周したら倍の金額を請求された。僕が驚いて問い詰めると、「さっきの値段は1人分だ。2人で乗ったら2倍だろう」と言うわけです。当然ながら揉めましたけど、まぁ、結局は向こうが笑って折れた。こっちも「残念だったね」と言いながら別れる。そういう呼吸じゃないと駄目だと思うんですよ。
丹羽 その通りですね。「中国人は嘘つきで汚い連中だ」と言われますが、彼らにしてみれば生活の知恵だったりする。漢民族以外に55もの少数民族が入り乱れる中国社会では互いに油断できないし、隙あらば金を儲けて高飛びする輩もいます。その点、日本人は農耕民族で定住しているから、悪いことをすればすぐにバレる。私も幼い頃は、どこへ行っても“本屋さんの息子”でした。
浅田 結局、日本が最も居心地の良い国ってことなんじゃないですか。
丹羽 だから困るんです。こんなに豊かな国にいると、留学するのがバカらしくなる。しかし、留学して競争国の若者が何を考えているのかを知ることは重要ですし、日本を第三者的な目線で見られるようになる。そうでなければ商社マンとして世界とは戦えません。
浅田 しかも、いまはバブルの時代とは違いますからね。バブルが弾けるまでは商社も相当、儲かっていたでしよう。
丹羽 まさに“ジャパン・アズ・ナンバーワン”でしたね。給料は跳ね上がったし、誰もが個人でゴルフ場の会員権を買っていました。その反面、海外で資産を買い漁った企業はみんなバブル崩壊で巨額な負債を抱えることになった。
浅田 僕は見事に“逆バブル”でしてね。ブティックを経営していたんですが、当時の婦人服業界は海外の高級ブランドと、中国産の安い服しか売れなかった。僕の扱う国産プレタポルテは大不振で、バブルの恩恵は全く受けませんでした。でも、バブルが弾けた途端に小説家として評価されるようになって、全てが好転し出したんです。しょげている世間を尻目にね。あれはラッキーだったなぁ。
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