特別対談 浅田次郎vs丹羽宇一郎(元伊藤忠商事会長) 日本人商社マンが輝いていた時代がある

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■数百億円の“大損”を挽回

浅田 日本で商売をするだけでも大変なのに外国の場合は慣習や常識、歴史観まで違います。たとえば、丹羽さんがアメリカに赴任されていた頃は、いま思い返しても激動の時代でした。

丹羽 ベトナム戦争の真っただ中ですからね。

浅田 国内の治安もかなり悪かったでしょう。

丹羽 ニューヨークはほとんど破産状態。清掃係や警備員を雇う金もなく、ストリートにはゴミが散らかり、新聞紙が風に舞っていました。私も地下鉄を降りる時、「ギブ・ミー・マネー」と凄まれたものです。実際に銃で撃たれたビジネスマンもいた。当時は会社が駐在員に一定のお金を与えて、脅されたら撃たれる前に渡すよう指導していたほど。けれど、若い社員はそのお金で酒を飲んじゃう(笑)。

浅田 そんなに危険だったんですか。アメリカで大損を出しかけたという逸話もあるようですが。

丹羽 まぁ、自慢になりませんけどね(笑)。穀物相場を担当していた時分、ニューヨーク・タイムズが、大干ばつが到来して農産物が大打撃を受けると報じたんです。日照りで地割れした畑の写真を載せてね。そこで大量に買い進めたものの、大雨が降って豊作になった。

浅田 それで暴落してしまったわけだ。

丹羽 いまなら数百億円の損害ですよ。どうにかしなければと思って気象予報業者から詳細な天気図を取り寄せて分析すると、今度は猛烈な寒波が押し寄せそうだ、と。クビを覚悟でそれに賭けた。その後、本当に霜が降り、連日のストップ高になってどうにか挽回できた。でも、帰国して病院で検査したら「あなた、かなり大きな胃潰瘍の痕がありますよ」って医者に言われました。

浅田 なんとも大変な事態に見舞われたわけですが(笑)。それに加えて、当時のアメリカには反日感情も色濃く残っていたと思います。やはり日本人への偏見や差別はありましたか。

丹羽 テキサス州では、バーで隣り合った客からいきなり「お前、日本人か?」と声を掛けられました。私が頷くと、「俺の親父は日本人に殺されたんだ」。こっちも負けずに「戦争だからそういうこともある。俺の親父もアメリカ人に殺された」って応じた。嘘ですけどね、これは。ところで、戦争と言えば、パプアニューギニアやインドネシアでは未だに日本人の遺骨収集が終っていません。日本からの観光客も遺骨に関心がない。

浅田 『ブラック オア ホワイト』に登場するパラオのペリリュー島には、僕は2年前に足を運びました。その時に感じたのは、アメリカと比べても日本の遺骨収集はまだ全然進んでいないということです。戦域が広大で戦死者の数が多いことは理解できますが、それにしても……。

丹羽 そのことを現地の人たちは疑問に思うし、駐在する商社マンの心にもわだかまりが残っている。

浅田 僕は戦後世代で、学校ではいわゆる戦後教育を受けてきました。そのせいで近現代史の知識が完全に欠落している。近現代史には統一見解がないから、先生も教えづらかったのだと思います。だから、大正時代以降については「自分で教科書を読んでおけ」になってしまう。

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