特別対談 浅田次郎vs丹羽宇一郎(元伊藤忠商事会長) 日本人商社マンが輝いていた時代がある

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 世界を舞台に活躍し、夢現の境を見失ったエリート商社マンの告白が、大戦からバブル期に至る我が国の“闇”を浮き彫りに――。渾身の新作『ブラック オア ホワイト』を上梓した作家・浅田次郎氏(63)が、伊藤忠商事の丹羽宇一郎元会長(76)に巨大商社の実像を問う。

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丹羽 私が伊藤忠商事に勤めていた頃、大変尊敬している先輩がオーストラリアで客死されたことがありました。ご遺体を引き取るため私も現地に向かい、その後、報告を兼ねて先輩のお宅を訪れたんです。すると、奥さんが奇妙なことを仰った。「主人は生前、日記をつけておりまして、それも毎朝、書いていたんです」とね。毎晩ではなく、“毎朝”だという。

浅田 なるほど。

丹羽 普通であれば、その日の出来事を夜になって日記に綴りますよね。しかし、先輩は毎朝、日記をつけていた。私と同じく毎晩のように酒を飲んで酔って帰宅するような方でしたから、余計に日記の内容が夢なのか現実なのか分からない。実際、奥さんも「怖くて読めない」と仰っていた。それこそ、家族や世の中、会社についてどう書かれているのか……。『ブラック オア ホワイト』を読み終わった後、そんなことを思い出しました。

浅田 怖い話ですねぇ。僕は眠りが浅いせいか、昔からよく夢を見るんですよ。しかも、その内容をとてもよく覚えている。

丹羽 そうですか。

浅田 夢なのにきちんとしたストーリーがあるんです。歳を取ると夜中にトイレに立つことも増えますよね。おかしな話ですが、用を足して布団に戻っても、また夢の続きが見られる。実は、夢で見たストーリーをほとんどそのまま小説にしたことも何回かあるんです。どの作品かは言えませんよ。何しろ小説ってのは、作家が頭を悩ませて、真面目に書いたことになってますから(笑)。ただ、夢の中の出来事をそのまま小説にしたことがあるのは事実です。

丹羽 小説になるようなエキサイティングな夢ってあるの?

浅田 そうですね。派手な娯楽大作というより、もっとディテールに凝った、色彩や構成もしっかりとした夢が多いですね。

丹羽 ほう、ちなみに女性は出てくるんですか。

浅田 それは……、出てきますよ(笑)。

丹羽 もし、「女性は出てこない」って仰ったら、「そりゃ嘘だろ」と言うところでした(笑)。

浅田 いや、やっぱり出てきますね。小説家という仕事は普段から嘘ばかり書いているので、たまに夢か現実か分からなくなる時があります。たとえば、道端で見覚えのある男性とすれ違う。「どこかで会った人だけど誰だっけな」と記憶を辿っても一向に思い出せない。よくよく考えたら、その男性が以前に書いた小説の登場人物に似ていた。これはよくある話なんです。

丹羽 まさに夢と現(うつつ)が一緒なんですね。

浅田 もうゴチャゴチャになっちゃう。

丹羽 なるほどね。この作品で描かれている商社マンの姿も、私からすると夢のようでした。夢でもいいからこんな商社マン生活を送りたかったな、と。

浅田 長い間、商社マンをなさっていた丹羽さんがどうお感じになるか知りたかったんですが、やっぱり現実とは違いますか。

丹羽 まぁ、そうですね。

浅田 はははっ。

丹羽 私の経験では、飛行機が現地の空港に着陸した瞬間からプライベートな時間はほぼありません。次から次にお客さんとの商談をこなし、現場を視察した後は関係者とディナー。翌日が日曜でホッとしていたら「お客様とのゴルフをセットしました」と言われる。私は1968年から9年間、ニューヨークに駐在したんですが、その間、エンパイアステートビルには昇ったこともありませんでした。

浅田 それだけ仕事に忙殺されるわけですね。

丹羽 でも、商社マンをやっててよかったなと思うのは、ワクワクドキドキする興奮や感動を仲間と分かち合えること。私が社長だった頃は、様々な部署が鎬(しのぎ)を削りながらプロジェクトを提案してきました。それに対して私は「ここが足りない」、「あそこが弱い」とダメ出しをする。部下としてはおしっこが漏れそうなほど緊張する場面です。それに耐えて何度も提案を続け、最後に私が「分かった。社としてリスクはあるけど、やってみよう」と決断する。相手は感極まって目頭を熱くさせ、自分の部署に戻ったら拍手喝采です。

浅田 いかにも商社マンらしい体育会系の熱気を感じますね。出版社とは正反対だな。何しろ編集者のみなさんは陰性が多いから(笑)。今回の小説を書くに当たって、友人の商社マンから話を聞いたんですが、そもそも総合商社というのは日本固有のスタイルなんですか。

丹羽 そうです。日本は中小企業が99%以上を占めていますが、海外で競う時には一致団結した方が合理的なんです。貨物の運搬や、輸出の手続きもひとまとめにすればコストが安くなる。

浅田 そうやって中小企業を取りまとめる格好で、商社が大企業になっていった。

丹羽 伊藤忠も近江の繊維問屋からスタートして貿易に乗り出しました。ただ、我々の先輩たちは鉄道も自動車もないようなアフリカの国々を、それこそ富山の薬売りのように巡っていた。品物を肩に担いで顧客を開拓してきたんですね。

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