伏せられた自由を解読する/『伏字の文化史―検閲・文学・出版』

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 家に残されていた戦前の文庫本を読んだ時、至る所に散在する、本来あるべき文字に置き換えられた×や○の存在に強い印象を受けたことがある。本書は、この「伏字」の意義や役割、影響などを文化史的、実証的に追求した労作である。

 著者が注目したのは、大正六年頃から運用が本格化する「内閲」と呼ばれる日本独自の検閲制度。これは出版物の発行者が、原稿やゲラの段階で、内務省の検閲官に閲覧を請い、指摘された問題箇所を手直しし発売禁止処分を回避せんとする制度である。これは法令で定められた訳ではなくあくまでも便宜的な措置だった。したがって、内閲を通ったにもかかわらず出版を禁止されるという事態も起きた。このため、出版社は出版禁止による打撃を避けるために、自主的に過剰な伏字を施すこともあったという。しかし、全ての出版社や編集者が検閲に無抵抗だったわけではない。伏字にした部分を別刷りにして密かに配布したり、伏字の部分を交錯させて伏字を判読できるようにしたりと涙ぐましい抵抗を繰り広げた。

 本書では、萩原朔太郎『月に吠える』、永井荷風『つゆのあとさき』、石川達三『生きてゐる兵隊』といった文学作品について、当局と出版側の出版に際しての攻防が詳細に追跡されている。厳しい検閲体制の下で、読者は作品内容だけではなく、伏字をも読解するという「二重の読解」を要求され、そのリテラシーを練磨していった。伏字には、読んでもらいたい、読みたい、という出版の原点ともいうべき熱い情熱が込められていたとも言える。少なからぬ編集者が本来の職務の他に検閲者としての冷徹な視線も要求され、当局に迎合するために過敏な自主検閲に走った。当局の意向を“自主的”に忖度し、過剰反応を見せる昨今の公共放送や地方自治体の姿は、日本人の感性が検閲下の戦前と変わっていないことを教えてくれる。本書は、それを知る上でも貴重な文化資料を提供している。

[評者]山村杳樹(ライター)

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