自分の子供が同じ目にあったらを考える/広岡達朗(野球評論家) 少年犯罪の「実名・写真報道」私の考え

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 テレビをつければ、事件を起こした少年の名前も写真も出ることはなく、被害者の方ばかりが名前や顔写真を出して報道されている。こんな不公平はありませんよ。今回の事件を受けて、週刊新潮が被疑者少年の名前と顔写真を掲載しましたが、メディアの使命としては至極当然のことです。

 少年法が20歳未満の実名や顔写真の掲載を禁じていることは分かっていますが、かといって今回の報道は悪いことでも何でもないですよ。新聞やテレビは何が正しくて、何を報道すべきかとか、そういうことについて思考が停止してしまっており、結局は無難なところに落ち着いて何もしない。それはとどのつまり、世間の興味や関心を無視しているということなんですよ。

 犯人が未成年だから更生する可能性があるなどと言う人もいますが、逆に言えばわずか18歳で人を殺すような人間が果してこれから更生なんかできるのか。まあ、更生の可能性を全て否定するわけではありませんが、まずは罪を償わせることが先決でしょう。本人が罪を認めて刑に服し、取り返しのつかないことをしたと自分の行いを反省し、そして遺族にも謝罪して、その後も一生罪の十字架を背負って生きていかねばならないのが、人を殺した犯罪者です。これはもう罪を犯したからにはどうしようもない。この点に関しては、成年も未成年も関係がありません。子供だから罪が軽くなるなんてことはおかしい。奪われた被害者の命というものは、みな平等なんです。

 私は何が何でも実名と顔写真を晒すべきだと言っているわけではありません。ケースバイケースで判断すべきだと思うのです。

 川崎の事件では、被疑者が年下の少年を深夜に呼び出して全裸になることを強要し、冷たい川で泳がせた後、カッターで切り刻んで殺害した。しかも、過去には鉄パイプで中年男性に殴りかかり大怪我をさせるという非行歴まである。

 こんな非道な行いをする人物に対して、被害者の親族、友人に限らず、全ての国民が“許しがたい”と怒っているはずです。

 週刊新潮の報道を批判する人もいるでしょう。でも、私はそういう人に敢えて言ってやりたい。“自分の子供が同じ被害にあったらどう考えるのか、同じく声高に反対でもするのか”と。被害者少年の無念は察して余りある。決して他人事ではなく、全国民が“もしも自分があの少年の親だったら……”と当事者意識を持って考えることが大切だと思いますね。

「特集 少年犯罪の『実名・写真報道』私の考え」より

週刊新潮 2015年3月19日号掲載

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