誰が、何を、いつ、なぜどうしたのか?/『捏造の科学者 STAP細胞事件』
生物学の常識を覆す世紀の大発見として大々的に報じられた、STAP細胞の会見からまだ一年しかたたないことを思うと不思議な気がする。社会を熱狂させた「大発見」から「事件」へと転落していくまでのスピードはあまりに速く、新聞やテレビの報道を見てもどんどん理解が追いつかなくなっていたのが本書を読んでようやく大筋をつかめた。
科学記者として新発見を喜んだ著者に疑念が生まれ、捏造を確信するまでの過程が、一般読者にもわかることばで、ていねいに描かれている。会見のあと、小保方晴子氏が割烹着を着た、と著者から聞いた笹井芳樹氏の、「あいつ、やりおったか」という発言や、笹井氏が、自身の釈明会見のとき、それまで見たことのない理研のバッジをつけていた、といった観察のディテールも興味深い。
小保方氏らが過去に科学誌に投稿していた論文だけでなく、査読コメントや関連資料まで独自に入手して読み込み、事実を積み上げていく。初めの投稿で、査読者に「細胞生物学の歴史を愚弄している」と言われたと会見で小保方氏は語ったが、そんなコメントはどこにも見当たらなかったというのも驚きだった。
検証サイトや外部の研究者、自浄作用を働かせようとする理研関係者からの情報だけでなく、著者は当事者たちにもぎりぎりまでメールで疑問をぶつけ、やりとりを重ねている。のちに自殺する笹井氏や、共同研究者の若山照彦氏をはじめ、渦中の研究者が疑問にできる限り答えようとしているのは意外なほどで、再生医療の取材に取り組んできた著者への信頼があってこそだろう。
論文への疑いを持ってからは、事件の幕引きをはかろうとする理研との戦いでもあった。自分の理解がどんどん追いつかなくなった、と書いたが、それは私自身がみるみる関心を失っていったせいでもある。小保方氏が出た二度の会見に比べ、調査委員会や第三者委員会の会見は専門的で地味で、いかにもつまらなさそうに見えた。そうした無関心は、真相をうやむやにしたい人たちの思うつぼだったのかもしれない。
いまや世界三大不正論文のひとつ、とまで言われるようになったSTAP細胞事件だが、当事者はいまも捏造を認めておらず、「誰が、なんのために」という謎はなおも残る。
「新潮45」に連載された、小畑峰太郎『STAP細胞に群がった悪いヤツら』(新潮社)では、巨額の金をうむビッグビジネスとなった再生医療をとりまく産学官の構図が描かれている。今回の事件が個人の捏造という話で終わらないことは明らかだ。笹井氏亡きいま、科学への信頼をとりもどすために、小保方氏には何が起きていたのか自分の口から説明してほしい。