「少年法」と「実名・写真」報道に関する考察

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 少年法には、罪を犯した少年の氏名や容貌を報じてはならないとある。だが、条文を墨守することだけが公益につながるのだろうか。そして、大人顔負けの蛮行に及んだ18歳は「少年」と言えるのか。少年法を乗り越えなくてはならない時もあるはずだ。

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〈顔や体のひどい傷を見て、どれほど怖かっただろうか、どれほど痛かったかと思うと涙が止まりません〉

 神奈川県川崎市の河川敷で惨殺された上村遼太君(13)の母親が出したコメントからは、悲しみというより、むしろ暴力と孤独にさいなまれていた遼太君の絶望感が伝わってくるようだ。

 本誌(週刊新潮)はこの残虐な事件を報じるにあたり、実行犯の容疑者の名前と、あわせて顔写真を掲載することにした。18歳とはいえ、少年法で守られることが、あまりにも理不尽だと考えるからだ。

 容疑者の身勝手な殺害動機や残忍すぎる犯行そのものについては3月12日号掲載の別項のレポートを読んで頂くとして、こうした少年事件を伝えようとすると必ず立ちはだかるのが少年法の壁である。

 なかでも、報道に対して完全シャットアウトを“宣言”しているのが、同法の61条だ。そこにはこう書いてある。

〈少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない〉

 つまり、少年が極悪犯だろうと、名前や写真はもちろん、本人を推測できるような情報も一切掲載してはならないと定めているのだ。この法律に罰則の規定はない。だが、実名を書いたり、写真を載せたりしたら、どんな目にあうのか。

 人権派の弁護士団体や、有名人から厳しい批判を受けるのは仕方ないとしよう。最近はそれほどでもないが、人権派に追随するマスコミが、非難の大キャンペーンを張ったこともある。2006年の徳山高専女子学生殺害事件では、逃亡する犯人の顔写真を載せたところ、図書館で閲覧制限をかけられたり、“火の粉”が飛んでくるのを嫌がる販売店が、棚から撤去してしまうこともあった。事実上の販売中止である。

 それでも、本誌はこれまで凶悪な少年犯罪については犯人を実名で報道し、あるいは顔写真の掲載に踏み切ってきた。1999年に起きた「光市母子殺害事件」、13年の「吉祥寺女性殺害事件」、そして、今年1月に発覚した「名古屋の女子大生による惨殺事件」など、犯人の属性も含め全容を読者に知ってもらうべきだと考えたからだ。

 そんな本誌の姿勢が許せないのか、件(くだん)の名古屋の惨殺事件を報じた際、犯人の顔写真と実名を載せたことに対して、第二東京弁護士会会長などが、「抗議声明」を送りつけて来ている。

 人権派にも言い分はあるだろう。元日弁連会長の宇都宮健児弁護士が、次のように説明する。

「少年法では、少年は可塑性に富むという表現をします。その精神は、社会復帰することを前提に考えている。しかし、その際、実名や顔写真が出回っていた場合、更生の障害になる可能性が高いわけです。社会から排除するのではなく、人間性を取り戻し社会に復帰できることを目指すというもの。だから、報道は慎重に扱って欲しいということです」

 だが、筑波大学名誉教授の土本武司氏(元最高検検事)によると、少年法は戦後の遺物そのものだ。

「現在の少年法が出来たのは昭和23年のこと。空腹に負けて店頭からパンを万引きして飢えをしのいでいたような非行少年を想定していたのです。その根底には厳父慈母という基本姿勢がある。これは“責任と保護”と言い換えても良いと思います。しかし、やがて大人顔負けの残虐な犯罪を犯すケースが出てきた。少年法は過去15年に4回の改正を経ていますが、61条に関しては手つかずのまま。その結果“保護”という点だけが引きずられ過保護になっているのが現状なのです」

■ネットに溢れる実名と顔

 それだけではない。少年犯罪をめぐる情報の伝わり方はさらに複雑になっている。

 今回の事件では、早い段階でインターネットに18歳容疑者や、逮捕された他の2人の少年の名前が流布され、顔写真も簡単に見られるようになっている。誰でもアクセスできることを考えれば、その閲覧者数は雑誌や新聞にも劣らないはずだ。

 上智大学文学部の田島泰彦教授も首をかしげるのだ。

「ごく早い段階から少年らの実名・顔写真がネットに出回っているにも拘らず、少年法によって活字メディアやテレビが報じてはならないと禁じるのは、やはり違和感もあります。つまり、今のような(情報がインターネットで自由に伝わる)時代には、もはや実名か匿名かを法律で一律に規制すべきかどうか、検討の余地があります」

 名古屋の惨殺事件でも、犯人の女子大生が犯行後〈少年法マンセー!!〉と自身のツイートに引用したことも話題になった。

 犯人が少年法をたてに逆襲してきたこともある。98年に起きた「堺市通り魔殺傷事件」で、月刊誌『新潮45』が19歳の犯人の実名を報じたケースだ。著者の高山文彦氏らに対して、犯人が民事・刑事の両方で訴えてきたのである。記事が少年法61条に抵触していることから、それによって名誉を毀損されたという理屈だ。

 だが、この裁判は結果的に少年法に“風穴”をあける効果をもたらした。民事は大阪地裁で犯人の主張が認められたものの、控訴審で高山氏が逆転勝訴。そのまま確定判決となったのだ。刑事告訴もその後取り下げられている。

 判決文は実名が雑誌に掲載されたことについて、こう述べている。

〈また、地域住民以外の一般市民は、本件記事によって被控訴人(註・犯人)の実名を知ったと思われるが、仮にそうであるとしても、被控訴人を知らない一般市民が被控訴人の実名を永遠に記憶しているとも思えないし、仮に一部の市民が被控訴人の名前を記憶していたとしても、そのことによって直ちに被控訴人の更生が妨げられることになるとは考え難い〉

 さらに顔写真についても、

〈犯罪報道における被疑者等の特定は、犯罪ニュースの基本的要素であって犯罪事実と並んで重要な関心事であると解されることと、本件事件の重大性にかんがみるならば、当該写真を掲載したことをもって、その表現内容・方法が不当なものであったとまではいえず、それは被控訴人に対する権利侵害とはならないといわなければならない〉

 としているのだ。

 高山氏が言う。

「大阪高裁は、社会の関心事であり、表現方法が不当ではない場合はプライバシーの違法な侵害にあたらないという判断を下したわけです。つまり、事件によっては少年法が禁じていたとしても実名報道が可能であるという判例が作られたのです」

 高山氏の地道な取材があったからこそ、勝ち取ることが出来た判決だが、これによって少年犯罪に注目が集まるようになると、司法が姿勢を変えざるを得なくなったのも事実だ。

 もう一つのエピソードがある。犯罪被害者支援弁護士フォーラム事務局長の高橋正人弁護士によると、

「裁判員制度が導入される1年前、最高裁が主導して全国で“裁判員模擬裁判”が実施されたのですが、この時いかに一般国民と判事たちの意識が乖離しているか思い知らされる出来事があったのです。“成年の犯罪と未成年の犯罪ではどちらが罪が重いか”との事案で、裁判員の多数が評議の中で“未成年だからといって必ずしも刑を軽くするべきではない”という意見を持っていることが分かりました。理由は“成年であろうと未成年であろうと被害の結果は同じだし、未成年の更生を必要以上に重視すべきではない”というものでした。思いもよらない反応に最高裁の受けたショックは相当なものだったと聞いています」

 少年犯罪に対する社会の厳しい目は、国政にも影響を及ぼし始めている。

 現在、国会では投票年齢を18歳に引き下げる公職選挙法の改正案提出が予定されているが、これに合わせるように少年法の適用年齢を引き下げるべきだという意見が出てきたのだ。

 政治部の記者が言う。

「2月28日に開かれた与党政策責任者会議の後のブリーフィングで、自民党の稲田朋美政調会長が“18歳選挙権と合わせて、今後、成人年齢を引き下げるという議論が起きてくるとすれば、それに少年法の適用年齢を合わせるべきではないかという議論も当然起きてくるだろうなと思っています”と話したのです。安倍総理に近い稲田さんの発言だけに注目すべきです」

 そんな今だからこそ、メディアがこの問題に取り組むべきだと言うのは先の高山氏だ。

「残忍さにおいて、今回の事件の犯人は、私が取材した堺市の通り魔事件より悪質だと思います。それを、匿名の“闇”に隠しておいて良いのか。たしかに実名報道をすれば人権派弁護士などから批判が殺到するでしょう。しかし、メディアが良心に従って踏み切るというのならまったく問題ありません。堂々と論陣を張ればいいのです」

■実名報道を批判する資格なし

 だが、肝心の新聞やテレビなどの大手マスコミは、相変わらず匿名報道の“殻”に閉じこもるばかり。こうした姿勢に憤るのは、元共同通信記者で、「人権と報道・連絡会」世話人の浅野健一氏だ。だが、浅野氏は実名報道に反対して来た人物のはず。

「もちろん、私は実名報道には反対です。しかし、原則そうすべきだと言っているのであって、何でも匿名を守るべきだとは思いません。問題なのは、日本の大手メディアがひたすら少年法を絶対視して、どんな事件でも成年は実名、未成年は匿名としてしまっていることです。20歳の青年が万引きで実名報道される一方で、19歳の凶悪殺人犯が自動的に匿名になる。この論理矛盾を説明できる社はあるでしょうか。その点、週刊新潮の実名報道を見ていると、この論理矛盾に挑んでいるように見える。そして、法律を超えて報じようとしている。ジャーナリズムは、禁じられても書くべきことは書かなくてはならないのです。大手メディアは、この問題に答えていません。批判が怖くて思考停止しているだけです。彼らに新潮の実名報道を批判する資格はありません」

 歪んだ現状を変えたくないのは、むしろ、思考停止したマスコミなのかも知れない。

   ※

 本誌は、18歳容疑者とともに逮捕された2人の少年については、従属的な立場だったと見て顔にモザイクをかけ、匿名で報じている。

週刊新潮 2015年3月12日号掲載

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