人はなぜ地図を作り続けるのか/『オン・ザ・マップ 地図と人類の物語』
タイトルの意味は「地図について」。加えて「地図に載るくらい有名になる」の意もあるそうだ。要するに本書は、構えの大きな地図の文化誌で、地図にかかわる古今のことがら万般が語られる。
地図史の黎明期を飾るエラトステネス、ストラボン、プトレマイオスらのこと。現世の地理学と来世のイデオロギーとが混然と融合した中世のマッパ・ムンディ(世界地図)の話。コロンブス以前の紀元一〇〇〇年ころ、すでに北アメリカの存在を知りヴィンランドと呼んでいたヴァイキングたちの地図をめぐる、イェール大図書館を舞台にした近年の真贋大騒動。そもそもそのコロンブスではなく、アメリゴ・ヴェスプッチという一流ではない航海士の名前が新大陸名として定着した理由。高緯度地域が極端に拡大表現されるメルカトル投影法の普及と、高緯度にあるヨーロッパ諸国がこぞって低緯度地域を植民地にしたこととの深い親和性。
植民地といえば、ヨーロッパによるアフリカの植民地分割が始まる十八世紀に、なぜかアフリカの地図にかえって白い空白域(未知の土地)が増え、処女地への進出だとして植民地化の心理的負担を軽くしたこともあったそうだ。あるいは大衆時代の到来と、一冊ですべてが分かる式の『ロンドンA‐Z』や各種旅行ガイドの出現。さらには最近のビデオゲームやGPS利用のカーナビに見られる、地図における印刷からデジタルへの移行。認知神経学やMRIなどの進展で一層進む脳機能のマッピング化(脳地図)は、多少大げさにいうなら身体のではなく「思考の解剖」かもしれない。
そうしたメーンテーマ二十二章に加え、より雑学風な「ポケットマップ」が十五話。これもなかなか面白い。
それにしても人はなぜ地図に惹かれ、地図を作り続けてきたのか。たしかに地図には不思議な魅力がある。遠足や修学旅行を前に、まだ見ぬ目的地を学習地図から想像した子供の頃のワクワク感は今でも忘れないし、山の地図から山行ルートをあれこれ思い、それだけで心地よい冷涼な山気を味わうのは、ずいぶん安上がりな大人の楽しみでもある。地図には記憶を喚起し、とりわけ未知のものへの想像をかき立てる力があるようだ。
こうした習性には長い来歴があるという。著者は人間の脳容量増大に関するR・ドーキンス博士の説を紹介する。牙はなく腕力も走力も乏しいヒトの祖先が獲物を狩ることができたのは、一本の毛、一塊のフンなどわずかな痕跡から動物の居所を必死に推理し、仲間と協力したことによる。その際、推理の結論は地面に図示されたかもしれない。つまり空間的・地図的思考こそが、人間の脳容量増大をもたらしたのであり、地図にワクワク感を覚えるのも、結局は脳が地図的にできているからにほかならない。
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