猪木とも戦った柔道家「ルスカ」最強伝説
1972年のミュンヘン五輪柔道でオランダ代表のビレム・ルスカは、無差別級と重量級(93キロ超)の2階級制覇という前人未到の記録を築き世界に君臨した。
「時の日本無差別級のエース篠巻政利はルスカに勝ったことがあり五輪でも期待されていたが、対決前に予選で敗退してしまった。無差別級決勝でルスカは、ソ連のビタリー・クズネツォフと対戦します。体重はともに110キロほど。ルスカは大外刈りから横四方固めを決め3分58秒で勝利した。東京五輪のアントン・へーシンクと同じオランダ選手が再び大きな衝撃を与えたのです」(スポーツ紙記者)
1940年生まれ。強さは日本仕込みだ。東京五輪中量級(80キロ以下)金メダルの岡野功が開いた「正気塾」でも学んでいる。赤鬼と呼ばれたのは白い肌が熱戦でほんのり色づくからだ。
76年2月、ルスカは意外な姿で日本を沸かせる。格闘技世界一決定戦でアントニオ猪木と対決したのだ。
時にルスカ35歳、猪木32歳。満場の日本武道館に東京スポーツのプロレス記者、桜井康雄さんはいた。
「猪熊功さんら柔道関係者も観戦していました。プロレス的な展開とは違いました。大外刈り、けさ固め、横四方固めと果敢に攻めるルスカに猪木は劣勢でしたが、コブラツイスト、ドロップキック、そしてバックドロップ3連発で決めました」
20分35秒、猪木の勝利。
「猪木がモハメド・アリと勝負しようとしていると知り、ルスカは挑戦してきた。実は奥さんが病気で治療費を稼ごうとしていたのです。急に決まった対戦で互いの技や力を知る余裕もなく真剣な応酬になった。異種がぶつかる名勝負でした」(同)
以後、プロレスに転身。
「プロレスラーとしてはぎこちなかったですが闘争心は強い。ブラジル遠征でイワン・ゴメスと対戦。血だらけの壮絶な闘いになり収拾が大変だったことも」(同)
脳出血のため2001年から闘病を続けていたが、2月14日、74歳で逝去。
13年には国際柔道連盟の殿堂入りを果たし、本業の功績も認められている。