芝居でめしが喰えた男/『小幡欣治の歳月』

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 新劇の群小劇団からスタートし、商業演劇の世界で一時代を築いた劇作家・演出家小幡欣治(一九二八―二〇一一)がたどった道のりを、観客として評論家として、何より親しい友人として、半世紀以上つきあった著者が振り返る。

 先輩作家に「日本で芝居を書くだけでめしの喰えるのは、小幡欣治ただひとり」と言わしめた小幡だが、東宝専属の作家として三木のり平主演の「あかさたな」や、有吉佐和子原作の「三婆」など数々のヒット作を書いたあとは、新劇の世界に戻って劇団民藝に脚本を書いた。その理由を「志と誇り」と見る著者は、小幡が時間をかけて題材を脚本に熟成させていくようすや、それを演じる劇団とのやりとりに神経をとがらせる瞬間もつぶさに見てきた。

「小幡欣治の歳月」はそのまま「矢野誠一の歳月」でもあり、小幡をはじめとする個性豊かな仲間と過ごした矢野の自伝とも読める。昔、木下順二に「メモのとりかたがうまい」とほめられたという三年連用日記をもとにつづられた本書は、小幡とのエピソードを巧みに拾いながら、たびたび本題から外れて思い出されることどもに筆がおよび、商業演劇と新劇の壁が払われていった時代の空気をありありと浮かび上がらせる。

 ともに東京っ子で洒脱で落語好き。書きとめられている会話は、劇場だけでなく、酒席や旅先でのものも多い。シャイな小幡は気の置けない友達である著者に、ひとりで行きづらい舞台稽古につきあわせたり、かけづらい電話をかけさせたりもしていたので、たとえば東宝や各劇団の「正史」には残らない、一方の当事者からは異論が出るかもしれない、人の評価や噂話が拾われているのも面白い。

 また著者が、じつに気軽にいろんな誘いにつきあうのである。舞台稽古や地方公演だけでなく、浅草の小幡の幼なじみとの飲み会にも足を運ぶ。芝居や落語を観て原稿を書き、前借りや締切の延期を頼むため出版社にマメに顔を出したりするかたわらのことで、メールやLINEのやりとりではこんな濃密なつきあいは望めないだろう。

 病がわかった小幡から入院すると知らされていた著者だが、重篤と聞いたあと、締切や仕事の約束があってとうとう見舞うことができなかった。最後に会えなかった悔いが、小幡の死の直後からこの本を書かせた。

「三婆」に主演した池内淳子や、「戦友」と呼んだ東宝現代劇の俳優たちに寄せる小幡の深い信頼も印象に残る。面白いものを書いても、ふさわしい俳優なしに芝居は成立しないと熟知する作家だった。その小幡の長年にわたる闘いに弟分として立ち会ってきた著者による、心のこもったレクイエムである。

[評者]佐久間文子(文芸ジャーナリスト)

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