「世界を巻き込んで、命まで奪って……」 初めて「小保方博士」に恨み言! 山梨大「若山教授」に黒いメール

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 理化学研究所は一連のSTAP細胞論文の不正で、遅ればせながら小保方晴子博士(31)が「懲戒解雇に相当する」と発表した。これを受け、彼女に研究人生を狂わされた一人、論文の共著者である山梨大の若山照彦教授(47)が、その心情を初めて独白した。

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 母校の早稲田大から「猶予つき学位取り消し」宣告まで受けている小保方博士は、すでに昨年末、理研を依願退職。このため10日の発表は、実効力をまるで伴わない“焼け石に水”の処分であった。

 同じ日、若山教授もまた「出勤停止相当」との処分を言い渡され、あわせて理研の客員主管研究員の職から外されていた。さらにこれを受け、

〈当時の研究室の主宰者として、このような事態に至った責任を痛感している。今回の判断を真摯に受け止める〉

 とのコメントを発表した教授は、勤務先の山梨大でも「発生工学研究センター」のトップを自ら辞する意向を示したのである。

「2012年4月に生命環境学部が新設され、その“目玉”として若山先生が教授で着任しました。直後、センターの前身である『ライフサイエンス実験施設』が竣工します。これは先生のために作られた施設で、その研究室も兼ねている。今後も引き続き、先生は学部教授として留まりますが、次のセンター長については、現在審議しているところです」(山梨大広報)

 当の若山教授に問うと、

「検証実験をきちんと行っていなかった監督責任を問われるのは当然で、理研の処分は妥当だと思います。また、大学でセンター長を辞任すれば、今後の研究活動や地域での生活に大きな影響が出ることも考えられます。でも、それ以外に方法はありませんでした」

 もっとも“もらい事故”との側面も否めず、

「私は、小保方さんの研究を一生懸命に手伝ってきたつもりです。その挙げ句、こんなひどい目に遭うなんて思ってもいませんでした」(同)

 そう呻吟するのだ。

引っ越しは手伝わず

 折しも、理研OBの石川智久・理学博士(薬物動態学)が1月下旬、小保方博士を窃盗容疑で兵庫県警に刑事告発した。彼女の作成した“自称・STAP細胞”の正体は胚性幹細胞(ES細胞)であったことが昨年暮れ、理研の外部調査委員会によってほぼ断定されたのは記憶に新しいところだ。

「若山研究室で作成、保管されていたはずのES細胞が、なぜか小保方さんの研究室の冷凍庫から見つかった。これで告発へと至るわけですが、実はこの事実は、理研の関係者や調査委員の間ではつとに知れ渡っていました」

 とは、さる理研関係者。山梨大に在籍しながら神戸の理研CDB(発生・再生科学総合研究センター)で実験を続けていた若山教授は、13年4月、拠点を完全に大学へと移すのだが、

「引っ越しの際、問題のES細胞も山梨大へ持って行くはずでした。元々は若山研究室に在籍していた中国人留学生が11年夏に作成したもので、帰国後もそのまま保管されていたのですが、若山先生が、その試料がないことに気付いたのは昨年の中頃。理研が現場保全のため小保方研究室の試料を逐一チェックし、リスト化して山梨大に送ったところ、先生は、およそ80本のES細胞入りチューブが、なぜか彼女のもとにあると分かって驚いたのです」(同)

 小保方博士は11年4月、ハーバード大の優秀なポストドクターとの触れ込みで、若山研究室に客員研究員として加入。以来籍を置き、教授が山梨へ移るのと前後して理研に正式採用され、自身の研究室を発足させた。が、1カ月以上にわたる教授の引っ越し作業を、まったく手伝わなかったという。

 当時の若山研究室の事情に詳しい関係者は、

「引っ越しの最中、研究用冷凍庫の整理作業も進められていました。冷凍庫には、割り当てられたスペースごとに各自の使う試料が保管されており、だんだんと不要不急のものが増えてくる。それらについて若山先生は“いついつ迄に必要なものは確保するように。それ以降は処分します”と告知していました。もちろん、問題のES細胞についても、山梨大へ運ぶよう事前に指示が出ていたのです」

 にもかかわらず、あらぬ場所に置かれ続けていたわけである。別の事情通も、

「作業を手伝っていない小保方さんが、自分の所持品と間違えてうっかり試料を持ち出してしまった可能性は考えられません」

 としながら、以下のように指摘するのだ。

「それでも、運び出した“形跡”は窺えるのです。冷凍庫整理の期限日までには、彼女自身の試料も回収されていたからです。日中は片づけをする姿が目撃されていないので、あるいは夜中にこっそり移していたのかもしれません」

 告発状を提出した石川博士が言う。

「調査委員会は不正の有無を調べるだけで、“誰が何の目的で”という調査は権限を越えてしまう。小保方研究室の『STAP幹細胞』と称するサンプルと、10年前に若山研究室の日本人研究者が作り、同じく彼女の部屋から見つかったES細胞、この両方の塩基配列を調べた結果が一致しても“実行犯”を断定できない。そんな歯がゆさから私は、独自調査を進めたのです。若山先生とは、告発状を提出する前の1月中旬、ごく短時間お会いしましたが、精神的にひどく参っておられる様子で、とてもSTAP細胞の話ができる雰囲気ではありませんでした」

 その若山教授、“えせリケジョ”への恨み節とともに、こう振り返るのだ。

「昨年3月、私が最初にSTAP論文の撤回を呼びかけた時に小保方さんもきちんと謝罪していれば、これだけの大ごとにならずに済んだのかもしれません」

 2人の“出会い”にも遡り、

「彼女の研究を手伝ってほしいと言われ、4年前、理研を通さずに客員として迎え入れました。でも結局は捏造だったわけです。改革委員会からは“02年の高温超電導不正(米国)、そして05年のES細胞捏造(韓国)と並び、世界三大不正だ”と言われ、実際に世界中を巻き込んだ挙げ句、笹井(芳樹)先生の命まで奪うことになって……。小保方さんについては、今はあれこれ語りたくありません」

 代わりに、親しい知人がこう明かすのだ。

「恨みつらみより、もはや関わりたくないのが本心でしょう。若山さんの妻もまた研究員で、ネットではその経歴など、同じ研究室にいた者でなければ知り得ない情報が晒されている。ただでさえ騒動で神経をすり減らしている身内は、こうしたことにも小保方さんが絡んでいるのでは、などとすっかり疑心暗鬼になっているのです」

恩を仇で返し…

 実際に若山教授には、およそ信じ難い出来事が降りかかっていた。山梨大の関係者が打ち明ける。

「研究に疑惑が生じたのち、若山先生と小保方さんとの連絡は、論文に関するメールのやり取りのみでした。先生から発信する時は、後々のことを考えCDBの竹市雅俊センター長などにもCCで送り、小保方さんからのメールも、関係者に一斉送信という形で送られていたのですが……」

 そんな中、思わぬメールが届いたというのだ。

「ことの発端は、13年3月に米国の著名科学誌『セル・ステム・セル』に掲載された論文でした。筆頭著者は若山先生の奥様で、先生と小保方さんも共著者に名を連ねていた。論文では、ある電気泳動の実験を小保方さんが担当しており、その画像が“不正データではないか”と、STAP細胞の騒動が勃発した時と同じく、世界中の科学者が閲覧するサイトで問題にされ始めたのです」(同)

 最終的には“不自然だが、完全な不正とは確認できない”といった結論に落ち着いたものの、

「不安に思った若山先生は、念のため小保方さんにメールをしました。“正しい実験から導かれたデータなのですよね?”と、これまで通りCCで関係者にも送る形で確認をしたのです」(同)

 ところが、これに対し、

「彼女からは“若山先生の論文でも、不正が見つかれば私は撤回を呼びかけますので”などと、脅しとも挑発とも取れる内容の返信があったのです。先生が心配したのはもちろん小保方さんの担当したパートだったわけで、全く的外れな物言いだったのですが、メールを受け取った先生は、言葉を失っていました」(同)

 盗人猛々しい、とまでは言わずとも、まさに恩を仇で返した格好だ。“仕返し”を示唆された若山教授は、

「ただ彼女が反省してくれれば、と。そう思い続けてきました」

 と、やり取りの事実は認めながらも困惑を隠さない。

「騒動が始まってから、大学の中でも白い眼で見られたり、ずっと居心地が悪かったのですが、それでも理解してくれる先生方はいました。何とか、もとの生活に戻れれば……。今はそう願うだけです」(同)

 先の処分発表で理研は、研究費などの返還請求とともに、小保方博士を刑事告訴する可能性にも言及。現在、ES細胞の窃盗罪や偽計業務妨害罪などが検討されているといい、

「必要性の有無からも検討しており、あくまで一例として2つの罪を挙げたということです」(理研広報室)

 年が明けてもなお、小保方博士は神戸の地に身を潜めている。が、その包囲網は、着実に狭まってきているのだ。

「特集 『世界を巻き込んで、命まで奪って……』 初めて『小保方博士』に恨み言! 山梨大『若山教授』に黒いメール」より

週刊新潮 2015年2月26日号掲載

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