急逝した妻へ遅すぎる恋文/『さようならと言ってなかった わが愛 わが罪』猪瀬直樹

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 作家も政治家も決してまっとうな仕事とはいえない。売れなければ、当選しなければただの人、いや穀潰しでしかない。なぜか不安定な道に突き進んでしまう、そんな夫を支え、時には軌道を正し続けた妻――その関係がクリントン政権時代のヒラリー夫人と重なって見えた。本書の「夫婦愛」を絶賛する批評は多いが、著者はそれを望むまい。そう思うのは、私が穀潰し側の人間だからかもしれないが、私にはこれが、それまで家庭を妻に任せ続けわが道をひた走り、最後の最後には別れの言葉さえ言い忘れてしまった夫の懺悔の書にしか思えなかった。

 猪瀬氏は作家として政治家として、充分すぎるほどの足跡を残している。ノンフィクション作家として『ミカドの肖像』で大宅賞を受賞し、小泉政権時代には道路公団民営化委員、石原都政で副知事、そして知事となり東京五輪招致成功などなど、数え上げればキリがない。本書を読むと、猪瀬氏がこれらの大仕事を成し遂げられたのは、妻・ゆり子さんの存在に負うところが大きかったことがよくわかる。

 長野から駆け落ち同然で上京し、売れない雑文書きをしていた下積み時代には、小学校教師となり家計を支え、取材や執筆で家を空けがちな夫に代わり家庭を守った。妻が公務員だったから、作家として独り立ちするための作品『ミカドの肖像』の取材費を得るための借金もできた。著書の第一読者として常に的確なアドバイスを与えた。道路公団民営化委員以降は秘書的役割を受け持ち、不器用な夫を支え続けた。だが、著者にとって最良の相棒は突然の脳腫瘍に倒れ、帰らぬ人となってしまった。

 副知事就任や都知事選、五輪招致活動の裏話、知事辞任の原因となった五〇〇〇万円借入の真実など、まだまだ突っ込みたくなる叙述も多い。だが、本書はぜひ仕事人間の方々に反面教師として読んでほしい。失ってから本当に大切なものがわかった、では遅いのだ。

[評者]鈴木裕也(ライター)

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