芥川賞作家が描く本当の物語/『少女のための秘密の聖書』

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「西欧の作家たちは、この書物とキャッチボールをしていたんだな」

 旧約聖書をはじめて読んだときの感慨を色川武大はこう記した。相撲好きの作家らしく、「実質はぶつかり稽古で、大きなものに向かって個人が身体全体で押し倒そうと挑んでいく」とも書いている。

「ヨブ記」や「ヨナ書」など聖書の物語をもとにした小説はこれまでにも数多く書かれてきた。正教会の信者でもある鹿島田の小説はそうしたものとは肌合いが違う。倉橋由美子『大人のための残酷童話』に似た不穏なタイトルをもつ本書は、聖書を押し倒したり、翻案して別の物語に膨らましたりするのではなく、作品の中に聖書のテキストを引き入れ、聖書を読むという行為そのものをひとつの小説につくりあげた。

 聖書を読むのは中学一年生の「わたし」。導き手となるのは「わたし」の両親が経営する裏のアパートに暮らす浪人生の「お兄さん」である。彼女の母親は、「パンツ泥棒」の嫌疑をかけられているこの怪しい男のもとへ、なぜか娘ひとりを家賃の取り立てに差し向ける。ちなみに「わたし」と父親との間に血のつながりはなく、隙あらば二の腕を触ろうとするこの父親を「わたし」は嫌悪している。

 白い羊の群れの中の黒い羊を思わせる、同級生の少年も彼女に深くかかわってくる。学校で決められている白い靴下ではなく黒い靴下をひとりだけ履き、「殺してやる」が口癖の彼は、「わたし」の腕にナイフで切りつけたりもするが、乱暴な言動の裏にある真情を徐々に「わたし」は理解するようになる。

 小説の中で語られる聖書の物語は、アダムとエヴァの楽園追放であり、カインによる弟アベル殺しであり、ノアの箱舟や、アブラムとロトの話である。古い物語に耳をすませるうちに、いつしか「わたし」は自分の内面をのぞきこむ。

 はじめ「お兄さん」の口を通して語られていた物語は現実世界から浮遊し始め、あるときは「わたし」の夢の中で、あるときは黒い靴下の少年が公園で拾った雑誌の袋とじのページの中や、母親の妄想の中でも語り続けられる。聖書を血肉化して読むことで自身の親子関係のいびつさにも目を向けることができるようになる過程は、小説と鹿島田自身の関係をも連想させる。

 小説の中で語られる聖書の噛んで含めるわかりやすさは子供にも伝わる内容だが、聖書のテキストが埋め込まれた小説世界の文脈の不穏さによって、素手で心をつかまれるように、生きた人間の物語としてうごめき始める。正邪も、わかりやすい回答もない。ぞくぞく、ぬるぬるしたその手ざわりは、私たちが生きている世界とよく似ていることを教えてくれる。

[評者]佐久間文子(文芸ジャーナリスト)

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