アレッポ住人の証言「イスラム国の刑務所だった小児病院から遺体無数」
トルコ国境に近い北部の都市、アレッポは首都ダマスカスに次ぎ、シリア第2の都市である。ここは、政府軍、反体制派、イスラム国が入り乱れ、戦火の絶えない激戦地となった。現在は反体制派の牙城だが、イスラム国が刑務所として使っていた小児病院からは、見るも無惨な遺体が100体以上も見つかったのだ。
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かつて、アレッポは300万の人口を数えたが、戦火を逃れようとする住民が後を絶たず、いまやその数も半減してしまったという。
そもそも、自由シリア軍を中心とする反体制派が2012年7月、アサド政権下にあったこの地を制圧した。ところが、イスラム国が翌年9月に侵攻し、3分の1の地域を支配下に置いたのである。
アレッポ出身のシリア人男性が憤然と語る。
「ダーイシュ(イスラム国の蔑称)は、市の中心部、カーディー・アスカル地区にある小児病院を主要拠点にし、数百人の戦闘員を駐留させるほかに、病棟の一部を刑務所として使っていました。ですが、自由シリア軍が巻き返しを図り、昨年1月、アレッポからダーイシュを追い払ったのです」
そこで、自由シリア軍の兵士が地元住民とともに小児病院に足を踏み入れると、目を覆うばかりの惨状が広がっていたという。
「両手両足を縛られたまま、黒い布で目隠しをされた男の遺体が、100体以上もあちこちに転がっていた。それも、原形を留めないほど顔を殴られていたり、あるいは、口の中から頭に銃弾が貫通していたり、わざわざ目を撃ち抜かれたりしていたのです」
その大半は兵士ではなく、一般市民だった。
「ダーイシュは、恐怖で住民を支配しようとする。タバコを吸っている者を見つけて鞭打ちにするのはまだしも、盗みを働いたと難癖をつけて腕を切り落とすことさえあった。加えて、地域の指導的立場になり得るメディア関係者や市民活動家などを、罪もないのに刑務所に放り込むのです」
なおかつ、たとえ撤退しても、恐怖に怯えなければならなかったという。
「刑務所に収容した住民をむごたらしく殺すだけでは飽き足らず、町のあちこちに爆弾を仕掛け、無差別殺人を企てたのです。私の友人も、乗っていたバスが突然爆発し、その犠牲になってしまいました」
人命も消耗品のごとき扱いなのである。