日本は十字軍の仲間入り? イスラム国のいう「十字軍」とは何か?

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「イスラム国」を名乗るイスラム教原理主義の過激派組織が、湯川遥菜さん(42)に続き、ジャーナリストの後藤健二さん(47)を殺害しました。

 その理由として、イスラム国関連とみられるラジオ局「アル・バヤン」は「日本がイスラム教徒と敵対する十字軍に参加した」ためと説明しています。また、イスラム国の広報誌「ダビーク」ではアメリカのオバマ大統領を「十字軍戦士であり、背教者であるバラク・オバマ」と称しています。これほどまでにイスラム国が憎しみの接頭語のように使う「十字軍」という言葉、歴史の授業で習った記憶はあるけれど、実際にはよくわからないという人が多いのではないでしょうか。

■ローマ法王による謝罪

 十字軍とは、西暦11世紀末から13世紀にかけて、西欧諸国で編成された有志連合が断続的にエルサレムや現在のシリア各都市に侵攻し、十字軍国家(Crusader State)と呼ばれる国家を建設、現地の勢力と戦闘を繰り返したことを指します。エルサレムはキリスト教徒にとっては死罪となったイエスが「復活」を遂げた聖なる都市。西欧諸国のキリスト教徒の頂点に立つローマ法王が実効支配を目論み、「神がそれをのぞんでいる」と呼びかけたのがきっかけでした。

 一方で「預言者」ムハンマドがメッカの方角と同じくエルサレムの方角にも祈りを捧げたという伝承に基づき、イスラム教徒にとってもエルサレムは特別視されています。エルサレムを当時すでに400年以上にわたっておおむね平和裡に統治していたイスラム教勢力からすれば、十字軍による侵攻はまったく一方的なもので、その非人道性については2000年にローマ法王ヨハネ・パウロ2世(当時)が事実上、謝罪しました。人類史上もっとも大きな誤り、「負の遺産」のひとつといってよさそうです。しかし、西欧諸国にイスラム教徒との紛争や摩擦を「十字軍」という言葉を使って戦意を煽ったり、正当性を主張する傾向が依然として残っているのもたしか。ブッシュ大統領(当時)がアフガニスタン侵攻時に、この軍事行動を「十字軍」と表現し、強く批判されたことは記憶に新しいことです。

■歴史の負の遺産から学ぶべき教訓とは

 一方で、こうした悲惨な紛争の歴史の裏側には、共生の試みもあったことは特筆すべきこと。当時の中東各地に作った大使館を拠点にさまざまな物産を取引することで、売買する両者に利益をもたらした動きがあったのは見逃せません。200年にわたる十字軍の歴史に取り組み、全三巻の大作にまとめている作家の塩野七生はこのように書いています。「長期にわたって展開された戦争の歴史とは、戦闘の連続のみで成る物語ではない。たびたびの共生の試みと、そのたびに起る破綻と、それでもなおそこに生きようとした人々の物語でもある」(『十字軍物語3』新潮社刊)。紛争の歴史のなかから、いかにして共生の知恵を引き出すか――それが世界的に問われているようです。

 イスラム国と呼ばれる武装集団が「共生」に値しない卑劣な集団であることは言うまでもありませんが、たとえばフランスの風刺新聞社襲撃事件や今回の邦人人質殺害事件など、現在進行形のできごとや報道を深く理解し、正しく行動するためには、こうした歴史的文脈を知ることが不可欠。そして宗教や宗派を超えて多様な人々が共生するヒントもまた、歴史の中からしか見つからないのかもしれません。

デイリー新潮編集部

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