「佳子さま」デビュー以上の衝撃は「三笠宮家信子さま」一般参賀のお出まし
皇居ではさる2日、恒例の一般参賀が催されていた。年末に成年された秋篠宮家の次女・佳子さまが晴れて“デビュー”とあって、今年は一層の賑わいを呈したのだが、それに勝るとも劣らぬ“衝撃”が――。何と、三笠宮家の信子妃(59)が、19年ぶりにお姿をみせたのである。
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「両陛下をはじめ皇室ご一家は、午前3回と午後2回、宮殿・長和殿のベランダにお出ましになります。今年は、平成に入って3番目の多さとなる計8万1030人が皇居を訪れました」
とは、宮内庁担当記者。
「注目の佳子さまはピンクのドレス姿。10時過ぎからの1回目では、最初こそぎごちないご様子でしたが、徐々に慣れたようで、途中からは笑みを湛えて盛んに手を振られていました」
そのベランダにはもう一人、これまでお見かけすることのなかった皇族がお出ましだった。2012年6月に薨去(こうきょ)された“ヒゲの殿下”こと寛仁親王の妃、信子さまである。
「長らく療養生活を送られていた信子さまが一般参賀に出席なさるのは、実に19年ぶりのことです。この日はグレーのドレス姿で、先月に白寿を迎えられた三笠宮さまの歩みをお支えする場面も見られました」(同)
ヒゲの殿下のみならず、娘である彬子さま(33)・瑶子さま(31)両女王とも折り合いの悪い信子妃は、「ストレス性ぜんそく」と診断され、08年暮れに入院。退院後も宮邸には戻らず、都心に一人で住まわれている。殿下の葬儀でも、ご遺志により彬子さまが喪主を務めるなど、不和は解消されないまま今に至る。
薨去から1年後の13年6月。信子妃は関係がこじれた宮内庁を介さず、お気持ちをしたためた手紙を直接、記者クラブへ送られた。そこには“微力ながら復興支援などに尽力させていただきたく”と綴られていた。
■住まいはどうなる
「やはり、ご自身なりの“復帰宣言”だったのでしょう」
そう振り返るのは、さる宮内庁関係者である。実際に13年10月、料理本の出版を皮切りに、翌月には福島県伊達市を見舞われ、7年10カ月ぶりに公務復帰されたのだった。
「昨秋にはオランダ国王夫妻を迎えた宮中晩餐会、そして園遊会と、いずれも10年以上ブランクのあるご公務を果たされ、着実に復帰を遂げていかれました」(同)
元日も2人の娘とともに、皇居での「新年祝賀の儀」に臨まれたばかりだった。
皇室ジャーナリストの神田秀一氏は、
「新年、国民の前に初めて姿を現す一般参賀に出られたことには、“自分の元気な姿を見せることが、国民の期待に応えることになる”とのお考えが表れています。信子妃は今年、より公務に力を注がれる気持ちをお持ちなのだと思います」
としながら、
「病気療養中であることが、ご家族との別居理由だったわけですが、今後、本格的に公務復帰された場合、今のままでは国民の理解を得るのは難しいでしょう」
皇室ジャーナリストの山下晋司氏も、こう懸念する。
「母娘の関係は、今なおギクシャクしているようです。信子妃殿下のお振舞いに反発され、かえって彬子・揺子両女王殿下のお出ましが減るようなことにならなければいいのですが……」
あちらを立てればこちらが立たず、である。
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