東京駅には皇室・国賓専用の地下通路「帝室通路」があった 東京駅「100年」人と歴史とトリビア(2)
開業100年を迎えた東京駅。日本の現代史を刻んできたこの駅には、知って得する秘密のトリビアがたくさんある。交通ライターの杉崎行恭氏が解説。
■初代駅長と暗殺事件
栄えある東京駅の初代駅長は、豪快な性格で愛された高橋善一で、前職は新橋駅長。東京駅の開業前日に、新橋駅で長年愛用してきた駅長の椅子を荷車で運ばせたという。
彼は東京駅から神田寄りにあった官舎に住み込んでは不意打ちの巡視を行い、駅員の落ち度を見つけるや「大馬鹿野郎!」と容赦なくカミナリを落とした。
天皇からも「善一」と名前で呼ばれるほど信頼され、陛下や大臣が駅を訪れた際の、堂々としつつも行き届いた先導ぶりは「背後にまなこあるが如し」と評された。震災の2年前、大正10年11月4日に東京駅丸の内南口改札付近で原敬首相の暗殺事件が起きた際、先導していたのも高橋駅長だ。このとき、乗せるべき宰相を失った神戸行急行第九列車は、混乱の中でも5分の遅れで発車したという。
同じ年の2月16日には、赤レンガの丸の内駅舎にある東京ステーションホテルで宿泊中の朝鮮時事新聞社社長、開元植が朝鮮独立運動家の大学生に刺殺されており、時代は下って昭和5年(1930年)11月14日にも浜口雄幸首相が狙撃される事件が起きた。このように大正から昭和にかけて、いくたびかテロの舞台となった東京駅には、原の暗殺現場、浜口の襲撃現場の印が床に刻まれる。
それからは、身の危険を感じる政治家たちも「帝室通路」と呼ばれる皇室・国賓用の地下通路を使うようになったが、「狙われっこない大臣までが(見栄を張って)通りたがる」と鉄道関係者に揶揄された。
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杉崎行恭(すぎさき・ゆきやす)
1954年生まれ。カメラマン兼ライターとして時刻表や旅行雑誌を中心に執筆。鉄道趣味の世界では駅と駅舎の専門家として知られる。
著書に『日本の駅舎』『駅旅のススメ』『日本の鉄道 車窓絶景100選』など。
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