「がんばると迷惑な人」ってどんな人? 無能だがやる気だけはある人々
努力は必ず実を結ぶ――というのは、タテマエに過ぎず、往々にして報われないことが多い。それどころか、努力すればするほど、ズレる、スベるという人も結構いる、というのが会社や組織で働いたことのある人の実感ではないだろうか。
そういう人はどこに問題があるのか。組織論などを研究している太田肇同志社大学政策学部教授は、『がんばると迷惑な人』という新著で、この問題を正面から扱っている。太田教授は「努力するほどスベる人」「がんばると迷惑な人」についてこう解説する。
「『遅くまで残業している部署にかぎってミスは多いし、成果もあがっていない』
『課長ががんばれ、がんばれとハッパをかけるたびに部下はやる気をなくしていく』
会社や役所で最近、こんな声がたくさん聞かれるようになりました。
昔から、無能だがやる気だけはあるという人がいちばん傍迷惑だといわれたものです。それが今では単に迷惑なだけでなく、組織全体に甚大な悪影響を及ぼしています。
熱血社員を幹部に抜擢(ばってき)したところ、業績が低下するばかりか優秀な社員が辞めてしまい、倒産の危機に瀕(ひん)している会社もあります。また、値下げ競争で人件費をギリギリまで絞り、店員を長時間モーレツに働かせたら「ブラック企業」として世間に知れ渡り、人手が集まらなくなって店舗閉鎖に追い込まれた外食業もニュースになりました。近年、こうした例は枚挙にいとまがありません。
似たような現象は、職場のチームや集団でも起きています。ある中小企業の経営者は、『うちの会社では社員がワイワイガヤガヤ、夜中まで議論しているが、新しいアイデアやブレークスルーは一つも生まれない』と嘆いていました。多国籍の人々からなるプロジェクトでは、日本人グループだけが浮いてしまうとしばしば報告されています。そして、グローバル経営の第一線で仕事をする人たちの間では、『日本人はチームワークが下手だ』という、これまでと真逆の評価が定着しつつあるのです」
いつからこうなったのか? 太田教授は、1990年代が大きな境目だったと分析している。
「それまでの“がんばり”が価値を生む時代から、がんばることが価値を生まないばかりか、逆に価値を損ないかねない時代へ、ドラスティックな変化が起きたのです。
『がんばる』とは、物事を決まった方向へひたすら推し進めていくことです。受験勉強やスポーツの猛練習、荷物運び、飛び込み営業などでは努力の量が求められています。
ところが90年代を境に、努力の『量』ではなく『質』が求められるようになりました。
物事を決まった方向に推し進めるのではなく、その『方向』そのものを見つけることが最重要な仕事になったのです。
やっかいなことに、この量と質は関係がないどころか反比例します。脇目もふらずに一つの方向へ推し進めれば、正しい方向を見つけることはできなくなるからです」
この考えに基づけば、選挙の場合、もしかすると「ドブ板選挙」という方法そのものが逆効果に働いた可能性だってあるのかもしれない。必死になればなるほど、人心が離れるということだって十分あり得るのだ。太田教授は、企業や組織においては、やみくもな努力を追求するのではなく、むしろ確実に成果につながる「合理的手抜き」の方法を考えるべきだ、と提案している。