美術史家・辻惟雄とアーティスト・村上隆が舌戦「イマジネーションの飛躍がない」「おっちゃんうるさいわ」
美術史家・辻惟雄が古美術の「奇想の画家」たちについてエッセイをしたため、現代美術の雄・村上隆がそれら絵師たちの作品を換骨奪胎、新作を描き下ろす、という前代未聞のコラボ企画『熱闘(バトルロイヤル)! 日本美術史』(新潮社)刊行記念として、二人のトークショーが11月25日(火)東京神楽坂「la kagu」内レクチャースペース「soko」にて開催されました。
「芸術新潮」で2009年10月から2011年12月まで、21回にわたって繰り広げられた熱い連載がもとになった同書。二人の闘いは連載を飛び出し、全長100メートルの《五百羅漢図》をはじめ数々の力作を生み出してきました。トークショーではその舞台裏で二人がどのように格闘していたのか、が赤裸々に語られました。
■今までの画業の中で最高の作品ができた
開口一番村上さんは「よかったですね、先生、存命中に本になって」とまさにプロレスの舌戦のよう。同連載を始める前、村上さんは辻先生から「村上さんは《Tan Tan Bo Puking - a.k.a. Gero Tan》が頂点で、それ以降いい作品がありませんな」と挑発されていたと告白。
辻先生の1970年の著作『奇想の系譜』(美術出版社)に刺激をうけていた村上さん。辻先生は自分の著作で「こんなに大きな魚が釣れるとは」と笑うも、連載中村上さんに何度もダメ出ししていたという。ある回では村上さんの出してきた作品に対し、
「ぎょっとさせる絵ですが、失礼ながら芸術的なぎょっととはちょっと違いますね。村上さんらしいイマジネーションの飛躍が感じられません。お弟子さんに任せ過ぎじゃないですか」
と手厳しい評価。村上さんも「内情も知らずにこのおっちゃんうるさいわ」と思ったと会場の爆笑を誘っていました。しかし村上さんはその言葉に一念発起。
「自分のリビドーや描きたいという欲望や美しくあるべきだという感情を封殺するところから現代美術は成立していた。そのため現代美術作家として自分で描くということは禁じ手だと思っていた。それを先生に言われて解放してみようかと思った」
と語り、辻先生の指導で「今までの画業の中で最高の作品ができた」と同連載で辿りついた境地について明かしてくれました。
■辻先生は絵難房?
会場には、辻先生の似顔絵をドクロの海に沈めた村上さんの《「絵難房」改め、、、「笑!難。。。茫~」》三部作も展示されていました。この作品は辻先生が出したお題で、パトロンの感心する絵を必ず非難したという辛口批評家「絵難房」についての逸話をもとに制作されたもの。村上さんからしてみれば「絵難房」とはまさに辻先生のこと。欲望や嫉妬が渦巻く死屍累々の美術界のなか、されこうべに囲まれた現代の「絵難房」が自由に泳ぐ姿を描いてやろうと、一種のリベンジを目論んでいたようです。
その後も対談は大いに盛り上がり、現代美術における徒弟制度、美術学生の特性、五百羅漢と震災の関係、辻先生が連載を辞めたがった話、村上さんが逆さ磔にされた際の辻先生のSっぷりなど、ここでしか聞けない話が続出。会場に詰めかけたファンも美術関係者も、両雄の刺激的な闘いに心踊る一夜となりました。
※この対談の詳しい模様は「芸術新潮 1月号」(2014年12月25日発売)に掲載されます。