正直な奇人の愉快な自伝/『奇想の発見―ある美術史家の回想―』
伊藤若冲、曾我蕭白といった日本美術史の中で埋もれていた画家たちに、「奇想」をキーワードに光を当てた美術史家の自伝である。「奇想」が代名詞となった人の、なまなかではない「奇人」ぶりがこの本の読ませどころだ。
功成り名遂げた人の伝記には紆余曲折、失敗談がつきものだが、たいていは若き日の過ち、成功物語のスパイス程度におさめられる。著者の場合は、生涯を通しての「呆れた」「困った」「失敗した」エピソードがちりばめられているので、その迫力に圧倒される。
もの忘れ、といったかわいい失敗もあれば、指導していた女性に猛アプローチをかけて相手の父親に抗議され、あやうく就職を棒にふりそうになったこと、東大定年後にどこからも声がかからず、国際日本文化研究センターに自分からプロポーズして職を得たこと、その後、学長になった美大で二期目に立候補して落選したこと、などなど、並の学者なら避けて通りたい暗黒の歴史がばんばん出てくる。むしろ、そういう箇所ほど言葉が弾み、嬉々として書いているように見えるのが奇人の奇人たるゆえんだろう。
若冲の第一発見者はコレクターのジョウ・プライスさん、蕭白はボストン美術館にいたモネ・ヒックマン氏と私、と発見の手柄をひとりじめにしない。若冲らをつなぐものとしての「奇想」のアイデアについても、先人の文章のどこから得たのかをはっきりさせて書くところは科学者の態度に通じる。
中学生で画家を志し、父親のあとを継ごうと医者をめざしたこともあるが、どちらもはたせなかった。最短距離で選ばなかった美術史の世界でも、あいかわらず右往左往を続ける。そのぶん、視野が広い。ジャンルをまたいでさまざまなものを見て、読んで、柔らかい頭で豊かな着想を得る。
本書に出てくる人名がまたすごい。作家の畑正憲、小田実、映画監督の高畑勲、絵本作家の加古里子(かこさとし)、舞踏家の大野一雄、と折々に出会った人の印象記も面白い。日文研の研究会にやってきた文化人類学者の山口昌男が、はじめのうち疲れて髪もバサバサなのに、髪が艶を取り戻すと同時に猛然と発言を始める、というアニメを見るような記述を読むと、そんなはずないだろう、と思うと同時に、この人の目には、ふつうには見えないもののかたちや動きが見えているのかもしれない、とも思わされる。
現在、氏はMIHO MUSEUMの館長をつとめている。「奇人だ」と辻氏の就任を断ろうとした初代館長の梅原猛に、美術館を主宰する新興宗教団体の会長は、「奇人は正直だからかえってよい」と言ったことが最後のほうで紹介されている。その言葉に、深くうなずく。