「生老病死」が生む言葉の力/『病から詩がうまれる 看取り医がみた幸せと悲哀』

ドクター新潮 医療 認知症

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「なぜ私たちでなくてあなたが?/あなたは代って下さったのだ/代って人としてあらゆるものを奪われ/地獄の責苦を悩みぬいて下さったのだ(一行アキ)ゆるして下さい らいの人よ/浅く、かろく、生の海の面(おも)に浮かびただよい/そこはかとなく 神だの霊魂だのと/きこえよいことばをあやつる私たちを」

 東大名誉教授であり、「看取り医」として今も高齢者への訪問診療をつづける著者は、かつて精神科医・神谷美恵子さんの詩に強い衝撃を受ける。敗戦前、医学生時代の彼女がハンセン病施設長島愛生園にしばらく滞在した折の作品で、病んでいる人に対する申し訳なさ、負い目の感情を素直にうたったものだ。

 著者が最初に高齢者医療に取り組んだのは三十年以上も前。当時、信州・佐久地方では認知症高齢者(なぜか女性が多かった)は家族とは別に、離れで孤独に暮らすのがほとんどだった。診察に訪れ、あまりの寂しげな姿に、そっと肩を抱きしめる以外何ができただろうか。病む人に対する負い目も、それを自分自身に隠そうとしたことへの恥ずかしさも、その後自らが患者と同じく、老いと死の道を歩むようになって徐々に薄らいできたとはいえ、「詩によってしか扱い得ない病のあること」はしっかりと悟った。

 つまり病は、単に身体の不調であるばかりか、患者がそこで生きる世界である以上、外部からの分析と観察だけでは見えない部分が必ず残る。内側から生きられるか、共感されない限り本当のことは分からない。三人称的な客観記述によらず、一人称で語られて初めて了解される世界だ。「詩によってしか扱い得ない」とはそういう意味だと思われる。

 とりわけ認知症の場合、患者は自らが紡ぎ出す「意味の世界」を生きるという点で、正常人となんら異ならない。ブッシュが「悪の枢軸・大量破壊兵器・十字軍」といった意味の世界を築いてイラクに出兵したのと、認知症高齢者がたとえば子供時代に戻ったような意味世界に住まうのと、どこが違うのか。

 詩や歌は、そんな意味の世界をまるごと象徴もすれば、閉じた扉を実際に開いて内側に入るパスワードにもなる。ある病院の認知症病棟で、いつも表情を消したまま過ごす女性患者が、耳元で歌う著者の「リンゴの唄」に和したり、CDの秋田民謡「ドンパン節」に思わず踊り出さんばかりの姿は感動的ですらある。

 カルテに書き留められた患者の短歌や俳句。手帳にメモされた病についての詩人たちの詩句。さらには玄人の号を有する著者自身の俳句。本書はそうした詩作品を軸につづられたエッセー集で、テーマは認知症や高齢者医療に限られない。「生老病死」全般がテーマで、それぞれの生老病死をそのまま認めようとする姿勢には、強い静かな覚悟が感じられる。

[評者]稲垣真澄(評論家)

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