不器用な「天才」はなぜ死んだのか/『球童 伊良部秀輝伝』
投げた、打たれた、揉めた、怒った、殴った――帯の文句通り、伊良部秀輝の野球人生は、才能に恵まれながら、いつもトラブルにもがいている印象があった。
球団に盾突くように渡米の権利を勝ち取り、のちのポスティングルール制定に道をつける。念願のヤンキース入りするが真価は発揮しきれず、いくつか球団を移り、エコノミークラス症候群を発症して帰国。日本ではタイガースや独立リーグにも活路を求めた。引退して家族のいるアメリカに戻るが飲酒運転で逮捕される。そして不意に、と思われた自殺。
著者は伊良部が亡くなる二カ月前、結果的に最後となるインタビューを雑誌に発表している。それまでの伊良部像と異なる、興味深い記事だった。この本に描かれる伊良部も、繊細で知的で、野球への愛が深い。その一方で気が弱く、そばに信頼できる人間がいないと精神的に不安定になり、酒の上での失敗が多い。
「悪童」と呼ばれた男が何を考え、何と戦ってきたのかを、著者は尼崎や高知、沖縄、アメリカと、伊良部の足跡を丹念にたどって関係者に話を聞く。
研究熱心さは驚くほどで、たとえばロッテの先輩、牛島和彦投手に自宅で教えを乞うときはいつも午前二時、三時までとなり、やがてパジャマ持参で泊まり込んでしまう。ピークを過ぎても、ユーチューブでさまざまな投手のフォームを見て、歩幅を定規ではかることまでした。若い選手に聞かれると、惜しみなく自分の投球術を教えている。
伊良部秀輝は沖縄・コザに生まれ、幼いころアメリカ人の父と生き別れになっている。伊良部の大リーグへの執着は、「父を探すため」と言われた。
著者も、生前そのことを尋ね、「事実ではない」と否定されているが、少年野球時代のチームメイトは「将来大リーグへ行って、親父を捜しに行くつもりや」と伊良部が言うのを記憶していた。
ヤンキース時代に、伊良部は父親と再会している。ベトナム戦争に行った父は後遺症に苦しみ酒に溺れ、連絡がとだえた間に、母子の行方を見失ったという。再会した父子の会話ははずまなかった。著者の取材に、父は英語のできない息子と会話するため日本語を勉強し始めていたと話すが、息子は死に、日本語を使う機会は訪れなかった。
父との再会後、伊良部は精神の平衡を崩して調子を落とす。大きな夢を描いてもがいてきた男は、夢をかなえたとたん、目標を見失ったのだろうか。「人生のチャプター・ツー(第二章)がある人は羨ましい」と伊良部は著者に語っている。
頁を開く前、マウンドでガムをふくらませる表紙の写真は伊良部のふてぶてしさを象徴するものと思えたのに、読後は幼い子供の姿のように見えてくる。