「論壇」史が映した戦後日本の「空気」/『日本の論壇雑誌:教養メディアの盛衰』
本書で論じられるのは以下の十一誌(媒体)だ。第一部「論壇のフォーマット」では、戦後の論壇雑誌の基本形を形作ったものとして『中央公論』『文藝春秋』『世界』の三誌が、第二部「論壇のアキレス腱」では、論壇の周辺にあってメインストリームをおびやかしつつ補完する役目を担った『婦人公論』『暮しの手帖』『朝日ジャーナル』『ニューズウィーク日本版』の四誌が、そして第三部「論壇のフロンティア」では、時代を先取り的につかもうとした『諸君!』『流動』『放送朝日』「ネット論壇」が、それぞれ俎上に載せられる。
編著者・竹内洋氏を中心になされた共同研究の成果である。京大系の研究者が一人一誌を担当している。洞察は、メディア研究という名からは想像できぬほど柔軟であり、かつ深く、ウーンとうならせられるところも少なくない。
十一誌中、創刊が戦前なのは『中央公論』『文藝春秋』『婦人公論』の三誌のみ。あとはすべて戦後の雑誌で、すでに休刊になったものも四誌ある。いい切ってしまうなら、戦前戦後の一時期の隆盛のあとほぼ一貫して“右肩下がり”だった論壇雑誌衰運の意味が論じられる。それは将来が不分明なはずの「ネット論壇」についても、論文の一部を勝手にコピー・アンド・ペーストするような受容の仕方からは、到底まともな影響力は望めないなどと、あらかじめいわれることからも窺えよう。
編者らは、高等教育の普及拡大とともに成立した「中間文化界」こそ論壇雑誌成立の場だと見る。ピエール・ブルデューのいう二つの類型、象徴的価値が優先する「限定文化界」と、商業的価値の優先する「マス文化界」との中間域に、知識人でもあり大衆人でもあるような新インテリ層を主体とする中間文化界が生まれ、それがアカデミズム(講壇)でも大衆ジャーナリズムでもない「ハイブラウなマス文化」、高級ジャーナリズム(論壇雑誌)を求めさせたというのだ。
たしかに戦後日本は、講和や安保など短い「政治の季節」の後、押しなべて経済の波におおわれ尽くしたわけで、中間文化界は結局、経済優先のマス文化界にあらがえなかったと見るなら、中間文化界説は論壇雑誌の成立と衰退をともどもうまく説明しているように思われる。しかしなんといっても本書の圧巻は個々の雑誌の分析であり、まことに面白い。
ここでは一点のみ。『暮しの手帖』についての「山の手知識人と下町知識人」との相克という指摘。戦後を席巻した新インテリ層はじつは下町知識人が多く、山の手知識人はむしろ沈黙を強いられた。その山の手知識人たちの久々の再登場こそ『暮しの手帖』だったことを、両者の用語法の違い、雑誌の文体などから分析する。