誰も書かなかった「解放教育」とは何か/『差別と教育と私』
著者の上原氏は、取材者である「私」の立つ場所をはっきり示し、自分の個人史に重ねながら事実を描く、「私ノンフィクション」と呼ぶべきスタイルで作品を発表してきた。本書でも、大阪の被差別部落に生まれ、荒れた少年時代に解放教育を通して救われたことを明らかにしたうえで、もはや過去のものになりつつある解放教育・同和教育とは何であったのかを検証する。
その「私性」には、一見地味なテーマに読者の襟首をつかんで目を向けさせるほどのつよさがある。たとえば少年時代に崩壊した彼の家庭では、別居中の両親の争いが絶えず、ついには母親が父親に刺され、中学生の著者が救急車を呼んだというのだから。中学生の時の担任の回想――「(上原くんは)酒のんで学校くるんやけど、悲しそうな顔してたなあ」に胸をつかれる。それだけに「部落民宣言」など解放教育を通して得た“救済”は非常に大きな意味を持っていた。
著者が被差別部落を「路地」と書くのは作家の中上健次を継承してのことで、中上に勝るとも劣らぬ複雑な背景を持った「私」は、そのことを特権化して身を守る鎧にはしない。むしろ鎧を脱いで相手のふところに飛び込み、先入観を排してその肉声に耳を傾ける。
兵庫・八鹿高校事件や広島・世羅高校事件など、解放教育をとりまく状況が変わるきっかけとなったのに、語ることそのものがタブー視され、風化しつつある事件の当事者にも会い、丹念に証言を集めている。二つの事件についてはぼんやりと外形的な事実を知るだけだったが、この本を読んで初めて理解できたことも多かった。
一九七四年の八鹿高校事件は、解放同盟系の解放研を新設することに反対する教員を解同の支部員が体育館に監禁し暴力をふるったとされる衝撃的な事件だ。かつて解同系の団体で活動していた著者は、「八鹿事件は共産党のデマだ」と教えられてきたが、取材をすすめるうち「暴力行為があったのは事実だと確信」する。その経緯も書いたうえで、政党間の争いで分裂した運動の犠牲になった、当時の生徒たちの声を聞きに行っているのが著者の記す言葉の確かさを裏付ける。
実りある先進的な取り組みも紹介しながら、解放教育のたどった道すじに向ける著者の視線は厳しい。一方で今の時代を水平社設立、解放教育全盛期に次ぐ「第三の過渡期」とし、差別がとらえにくくなっていることへの注意を喚起する。
確かに差別は見えにくくなったが、インターネットの匿名空間などでは過去に逆戻りしたような差別的な言説が広まっている。差別についていま、どんな教育がありうるのか。一人ひとりに考えさせる、きわめて貴重な同時代の記録である。
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