元裁判官による「告白の書」/『絶望の裁判所』
二〇〇九年から導入された裁判員制度により、一般市民にとって裁判所は以前よりは身近な存在になったはずである。しかし、裁判所の暗部で進行している事態を知る機会はなきに等しい。本書は、東京地裁、最高裁などで三十三年にわたり裁判官の職に在り、二年前に教職に転じた著者による告発と問題提起の書である。日本の裁判所の特徴は「上命下服、上意下達のピラミッド型ヒエラルキー」にあり、それは「最高裁判所事務総局中心体制」によって構築、統制されていると著者はいう。
この体制のもとで、露骨な情実人事、恣意的な再任拒否、退官強要などが横行し、裁判官たちは萎縮し、「事件処理」に専心し、事務総局の意向にひたすら追随する体質を身につける。著者は、日本の裁判所は、「精神的被拘束者、制度の奴隷・囚人」たちを収容する「収容所群島」であるとまで書き、「精神的奴隷に近い境遇にありながら、どうして、人々の権利や自由を守ることができようか?」と問いかける。
本書において衝撃的ともいえるのは、組織の内部にいた者にしか持てない視点で分析する、現行の裁判員制度の導入の裏に隠された刑事系裁判官たちの「不純な動機」。法服を着たエリート官僚たちの自己保身の執念には驚くと共に、日本の司法システムの内部で進む、組織の腐敗と劣化に危惧を抱かざるを得ない。
最後に著者は、日本の司法制度改革について、事務総局解体、法曹一元制度の導入、ドイツ型の憲法裁判所の設置、裁判員制度の選択的陪審員制への移行などを提起するが、いずれも実務体験をもとに構想されているだけに説得力がある。
裁判所が三権分立の一翼を担い、権力を監視し、人権を守り、弱者を助けるという「司法本来のあるべき力」が十全に発揮される様を、日本国民は「まだ、本当の意味では、一度としてみたことがないのではないか」という著者の言葉は重い。
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