自身の半生を通じ無二の師の姿を描く/『師父の遺言』

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「あなたは僕のことを伝えてくれたらいいのよ」。かつて武智鉄二は著者の松井さんにそう言ったという。多大な影響を受けた師の姿を、客観的な評伝ではなく自身の半生をたどり、二人の交差を通して描くことで言葉の重みにこたえた。

 時代小説のすぐれた書き手である著者の実家は京都・祇園の料亭である。三歳のとき里子に出され、六歳で両親のもとに戻される。環境の激変は、絶えず周囲を相対化する癖を身につけさせた。

 周囲には絶えずきらびやかな人々が出入りした。幼いとき文楽の名人豊竹山城少掾の腕に抱かれていた、といったエピソードが自慢するでもなく淡々と披露される。当代の坂田藤十郎とは親戚で、両親と芝居に行けば楽屋見舞いを欠かさない。六代中村歌右衛門に熱を上げ、新幹線で歌舞伎座まで通う中学生だった。

 知的でクールで批評精神の塊のような少女は劇評家を志す。早稲田大学に進学して京都を離れるのが一九七二年。政治の季節が終わりつつあり、演劇専攻の同級生からは「こんな時代に、歌舞伎なんかを見てられること自体、私にはとても信じられな」いと言われもした。

 歌舞伎座のプログラムを制作する代理店や松竹をへてフリーに。武智とは、大学院時代に恩師の紹介で知り会う。

 武智は著者より四十歳以上年上で、大阪の裕福な家に生まれ、「武智歌舞伎」でブームをおこした人。私生活では妻と愛人を置いて駆け落ちし、スキャンダルになる。自民党から参院選に出て落選、「ヌード能」の舞台や「ホンバン」セックスシーンのある映画「白日夢」の監督でキワモノ扱いされる変人だった。

 武智は次から次にミッションを与えた。全集『定本武智歌舞伎』の注釈と解題、歌舞伎塾の助手。復活狂言の脚本では大御所木下順二との共作を、はては自分が力を入れる近松座の演出助手に起用する。

「一体なぜ私に?」。武智は説明せず、著者も聞かなかった。答えのない問いは本書の中で繰り返される。縄文時代まで見据えて日本の芸術をとらえた武智にとって、晩年に出会った著者の、前近代的なものへの感受性と現代的な視点でそれを客観視できる資質は得難い発見で、だからこそ後継者にも擬したのだろう。

 師に心ひかれる一方、「腐っても鯛」とクールに眺める著者だったが、あるとき彼の激しい怒りに触れ、長いあいだ自分を覆っていた「硬質の膜のようなもの」が突き破られる。そこに描かれる人生の決定的な瞬間には官能的な匂いがたちこめ、読んでいてゾクゾクさせられる。

 それは傍観者を一人の表現者に生まれ変わらせる、死と再生の瞬間である。武智の死後、著者は近松座の制作にしばらく関わったのち小説の道に進み、やがて直木賞作家となる。

[評者]佐久間文子(文芸ジャーナリスト)

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