人々の心をわしづかみにした玉三郎 「対立」と言われた歌右衛門について語る
■三島由紀夫が絶賛
船曳氏は文豪・三島由紀夫の言葉を引き、当時の玉三郎をこう評している。
「1970年の、初役の『お三輪』の公演パンフレットに、その秋に亡くなる三島由紀夫が、〈玉三郎君という少年の反時代的な魅惑は、その年齢の特権によつて、時代の好尚そのものを引つくりかへしてしまふ魔力をそなへてゐるかもしれない。〉と書いたが、まさに正鵠を得ていた。玉三郎の時代が始まったのである。」
鷺娘(さぎむすめ) 2009年1月、歌舞伎座。
■対立していた? 六代目中村歌右衛門
船曳氏は長年歌舞伎界で囁かれていたある噂についても本人から感動的な言葉を引き出している。その噂とは、戦後の女形の最高峰と言われた六代目中村歌右衛門と玉三郎の関係についてだ。歌舞伎界のみならず世間を揺るがすほどの美少年玉三郎を歌右衛門が疎んじたのではないかと囁かれていた。
船曳氏が歌舞伎以外の舞台にも活躍の場を広げる玉三郎と、歌舞伎一筋の先達との違いについて話を振ると......。
玉三郎:時代の違いが大きいです。たとえば歌右衛門さんは歌舞伎一筋で生きてこられましたが、それは大きな戦争を経た困難な時代を、陛下にもお褒めいただき、民衆にも認められたいと、ずっと思って生きてこられたからであって、時代的に私たちのような考え方はなさらなかった。本当は持っていたのかもしれないけれど、時代が許さなかったんです。(略)晩年ね、とても気にかけて下さって、やさしかったし。(略)歌右衛門さんと私が対立していたとか書かれてる方もいますけど、実はそうじゃなくて、あの時代の建前としては対立して見えただけで、本心は認めて下さっていたし、私も本当に憧れ、尊敬していました。
船曳氏と玉三郎の対談はこの後も続き、歌右衛門が女形の難役『壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)』の阿古屋(あこや)を玉三郎に引き継いだ際のエピソードなども語られる。
襲名50周年を迎えた玉三郎の歌舞伎についての思い、迫力たっぷりの舞台写真、初公開のオフショット、さらにはプライベートまでたっぷりと詰まった対談全文は現在発売中の芸術新潮6月号にて掲載。
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