まだできることがたくさんある/『しなやかな日本列島のつくりかた』

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「現場」を知らない人、あるいは事実関係を知らない人の議論というのはとても恐ろしい。書籍や新聞・雑誌という「二次情報」は、それを伝える人間の「主観」でトリミングされていることに気がつかないで、「善意」や「正義感」も含めて、とんでもない提言や政策が主張される。むろんあれこれ主張するのはジャーナリストであり、学者や評論家である。

 例えば製造業は日本の産業の中で国際的に競争力のある最大の産業なのに、空洞化論などが相変わらずはばをきかせている。あるいは日本の食品が「安全・安心で、世界で評価されている」などという幻想を持っている人や、商店街が衰退したのは郊外に大型店ができたからだ、などと思っている人もたくさんいる。しかしそのほとんどは事実ではない。

 本書は現場を歩き、事実を確かめた上で発言する人々と藻谷浩介による対話集だが、一読して、私たちの日常の暮らしを支える人々の営みや考え方が真っ直ぐに伝わってくる本である。本書に登場する人たちの言葉は、すべて「批評」「評論」「告発」とは無縁である。誰がどのように、という具体性によって貫かれている。ただし非常に鋭い現場に根ざした批判は随所にある。

「商店街」「限界集落」「観光地」「農業」「医療」「赤字鉄道」そして「継続して進化(深化)しつづける街づくり」の話を、我が国のそれぞれの第一人者が語っているが、読了したときに立ち上ってくるのは、私たちには「まだできることがたくさんある」という可能性である。

 例えば、山下祐介は、限界集落について「高齢化が進んだせいで消滅した集落はまだ一つもない」と説明し、効率性の議論について、「効率が悪いのならもっと早く消えていてもおかしくないはずなのに、なぜ残っているのか」を考えることの必要性を述べる。山下は「廃村になってから舗装道路が整備」されたり、津波の被災地では「復興を進めるためには人の暮らしはどうなっても構わない」といった「再興」が横行していることを指摘しつつ、「効率」ということを問う。

 あるいは全国の自治体が取り組んでいる「観光」について、山田桂一郎は「新幹線や高速のインターがきて早くアクセスできればお客がくる」と思っていることについて、スイスの町などを事例に、一見さんを呼び込むことよりリピーターを増やす努力が大切であると説く。たしかに「不便」であることは観光にとって「不利」ということはない。沖縄の離島などその典型だろう。

 農業について神門善久は、日本の農業が「能書きばかりが立派で」「肝心の耕作技能が失」われていること。アメリカやヨーロッパとの地形や気候のちがいによる日本独自の「技能集約型農業」により、「腕のいい農家ほどコストを下げられる」のに、大規模化や六次産業化などのキャッチコピーが先走る現状を批判する。この神門の主張は、フォードシステムとトヨタシステムの「歴史経路」の違いの議論と重なる。

 また就農希望の若者を使い捨てる農地所有者。「安心・安全で美味しい日本の農産物」などというイメージは国内限定でしかないこと……など、徹底して現場を知る者による農業論は実に説得的である。日本の農業の最大のガンの一つは農地の所有者の身勝手さにあるのははっきりしている。

 夕張市で医療再生にとりくんだ医師の村上智彦は、被害者意識にあぐらをかく「住民」への違和感や、日本の多くの「弱者のふりをして医療費を無駄遣いする高齢者」「医師任せで自分で健康を守ろうという意識が欠如した住民」などの問題を指摘しつつ「救急車の有料化」などを提言する。まったくもって同感である。

 あるいは宇都宮浄人は、高速をはじめとした道路の建設と拡張は、多大なランニングコストと補修費を必要とし、鉄道の方が相対的にコスト安であることを実証する。たしかに評者が3月まで勤務した福井県などでは、ほとんど人が住んでいないところに実に立派な道路が建設されており、あるいはせっかくJRの駅前まで通っている路面電車はとても便利なのに「廃止せよ」などという声があるのにびっくりした。そうした主張をする駅前商店主の多くは駐車場の経営者だ。

 しかし、このような紹介をするからといって「絶望」や「不快」さが本書の主張や結論と思わないで欲しい。約40年にわたって「街」を育成し、発展させ続けている千葉県の「ユーカリが丘」の「奇跡」など、目を見張る事例が紹介されているし、それぞれの項目も「出口」は示されている。

「社会問題」に関心のある人、必読の一冊だ。

[著者]藻谷浩介 [評者]中沢孝夫(なかざわ・たかお 福山大学経済学部教授)

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