食があぶり出す人の政治的本質/『フード左翼とフード右翼』

国内 社会

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 何が左翼で、何が右翼かが、今日の政治情勢の中で、きわめて見えにくくなっている。

 ソ連崩壊以降、かつての共産主義イコール左翼という古典的図式が消滅し、政治自体もマーケティング化、劇場化が進んだ結果、場当たり的な口当たりのいい政策が日々乱発されて、交錯し、めまぐるしくねじれ続け、何が現代社会の中で左翼的なのか右翼的なのかが判然としなくなってしまった。

 筆者は、食というフィールドを用いて、今の政治的混乱の整理を試みる。食べ物はわれわれのナマな身体と直接的にかかわっているので、食を媒介にして考えると、僕と世界との関係、人間と環境との関係、すなわち自分自身の政治的な本質が、意外なほどの鮮明さと具体性をもってあぶり出されてくるのである。これって左翼的な食べ物だったんだ、この料理法って右翼的だったのか……ということが見えてくる。その結果、今日の政治に施されたまやかし、こけおどしのたぐいが一掃される爽快さがあった。 

 しかし、にもかかわらず、食にさえネジレがあるという結論が印象的であった。有機野菜を通じて、地球や身体を救出しようとするフード左翼は、実は今日においては選ばれたエリートであり、彼らの食が世界を覆うと、食糧不足で世界が破綻するのである。このようにして客観的数値をもって、究極の食のネジレ、ジレンマが冷静に指摘される。

 しかし筆者はこのネジレに負けない。ネジレを承知しながら自分はフード右翼から左翼へと転向したという告白。自分の身体がその転向を命じたという言葉はなかなかに重くて、力強い。

[評者]隈研吾(建築家)

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