二人の編纂者 友情と決裂の謎/『辞書になった男』

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 見坊豪紀(一九一四~九二)と山田忠雄(一九一六~九六)。戦後の辞書界に大きな功績を残した二人の編纂者の人生を取り上げるというと、常人離れした努力を描いたものとまず想像してしまう。本書にその面白さはもちろんあるが、二人の内面にまで踏み込み、友情と決別の謎に焦点を当てているのが面白い。著者が制作したNHKの番組を幸い(と言っていいのか)見ていなかったこともあり、ミステリーを読むときのようにページを繰る手が止まらなかった。

 小型国語辞書の世界に革命を起こした『三省堂国語辞典(三国)』の見坊と、赤瀬川原平『新解さんの謎』でも人格を備えた面白い辞書と紹介される『新明解国語辞典(新明解)』の山田はもともと東大の国文学の同級生で、山田を辞書編集の世界に誘ったのは見坊だ。二人で協力して『明解国語辞典』の編集作業に携わったがある時期に決裂、その後は別々の道を歩み、会うこともなくなった。

 辞書史を研究する武藤康史氏が晩年の両氏にインタビュー、肉声テープも残されていて本書の貴重な資料となった。さらに著者は、二人が書いた辞書の語釈や用例を読み込み、込められた思いを推理しながら決裂の謎を解き明かしていく。

 ひとつの鍵は一月九日という日付にあった。『新明解』四版の【時点】の用例は「一月九日の時点では、その事実は判明していなかった」という妙に具体的なもの。『新解さんの謎』でも「一月十日にはわかったのか。辞典なのに新聞みたいだ」「私小説を感じる」と書かれている。

『三国』『新明解』双方の編集に携わった柴田武氏のインタビューにも同じ日付が登場していた。そこに気づいた著者は、一月九日が『新明解』刊行の打ち上げの日であると知る。打ち上げで何があったのか。見坊・山田とも互いを非難する言葉を残さなかったため謎だった事件の全貌を、当時を知る人や家族にもあたって少しずつつきとめていく。いまだから話せる、という証言も新たに得た。

「辞書は“かがみ”」が口癖の見坊と、「辞書は“文明批評”」であるとする山田。データ主義の見坊は膨大に用例収集し、山田は言葉で言葉の意味を説明しきることにこだわった。辞書観の異なる二人の決裂はいずれ避けられないものだったかもしれないが、彼らが知らない出版社の思惑もそこにからんでいた。なにより、二人が専門としてきたその「言葉」に行き違いがあったというのは皮肉だ。

 著者の仕事は、辞書という広大な宇宙に散らばる言葉の星をつないで星座を描く作業に似ている。客観的な記述で知られる『三国』の中にも貴重な手がかりは残されていた。「公器」たる辞書に秘められた人間ドラマを読んで、なるほど言葉は人を映し出すものだと思った。

[評者]佐久間文子(文芸ジャーナリスト)

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