心豊かで楽しげな「独居老人」たち/『独居老人スタイル』
思い思いのスタイルで暮らす「独居老人」が十六人。寂しく、不幸な晩年を送る人という、言葉に込められたイメージをぶち壊す痛快な本である。
口絵のカラー写真からして庭先で首をくくる人がいたり、全裸の老人が椅子の上で倒立していたりでぎょっとさせられるが、本文のインタビューを読みすすめると、それぞれの人が選びとった、生き方のまっとうさが伝わってくる。
著者の都築氏の関心領域やこれまでの取材経験から、本書に登場するのはアーティストが多い。それも、きらびやかな脚光を浴びるより、自分の表現を追求し、独自にその道をきわめる人が大半で、発表の機会もなく、ただ自分がやりたいから続けるという人もいる。
口絵で首をくくっているのは六十代のアクショニストで、見に来る人がいてもいなくても毎日、庭に出て首をくくる(正確には顎で体重を支えている)。全裸の逆立ちは大正九年生まれの前衛芸術家ダダカンのパフォーマンス。表現について聞くだけでなく、何を食べ、どんな買い物をし、どういう家に暮してどれくらい眠るのか、といった生活の細部まで聞いているので、彼らの生き方と表現が深く結びついていることがとてもよくわかる(写真にうつされた、ダダカンの通帳の金銭の出入りの少なさは驚異的だ)。
生き方そのものがアートだと思える「独居老人」も。早稲田の名画座で清掃スタッフとして働く女性は、廃品を利用した小さな作品をつくってトイレに飾り、映画館のホームページにコーナーも作られる人気だが、ご本人は始発電車で出勤、掃除をすませて帰るので、ほかのスタッフと顔を会わせることもない。半世紀前に閉館した福島県の映画館のオーナーは、館内を掃除し映写機に油をさし、いつでも上映できる状態を維持しながら、オリジナル編集のリミックスフィルムを自分の楽しみとしてつくり続けている。
スナックのママ、民謡歌手、流しの歌手といった人にも話を聞く。旅から旅へと移動する流しは姿を消しつつあり、彼へのインタビューなどは民俗学者宮本常一の仕事を思い出させる。
わが身を振り返ると、「独居老人」になることへの不安は自分にもある。なぜ不安なんだろう。寂しいから? それとも寂しい人だと思われたくないから?
この本に登場するのは望んで「独居」を選んだ人ばかりではないし、金銭的にも恵まれてはいない。それでも自分のやりたいことがある一人暮らしは、孤独ではあっても、不幸には見えない。二十代で結婚し、子供は二人持って二DKの家に住み、なんて標準的人生設計を一度も考えたことがなさそうな人たちが思い思いにつくりあげた「独居」のスタイルは、心豊かでじつに楽しげなのである。
速報「娘はフェイク情報を信じて拒食症で死んだ」「同級生が違法薬物にハマり行方不明に」 豪「SNS禁止法」の深刻過ぎる背景