石破茂幹事長の「悪質なつまみ食い」をした共産党議員

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 発言の一部を切り取った報道について、「恣意的だ」「印象操作だ」といった批判がなされることが増えている。物議を醸した森喜朗元首相の「大事な時に必ず転ぶ」発言の騒動においても、「森さんの真意をねじまげている」と擁護する人が現れたくらいだ。こうしたことの背景には、以前と違い、ネットで発言全文などに容易にアクセスできるようになったからという事情がある。

 しかし「切り取り」の対象は発言だけに限らない。先日国会でも石破茂幹事長の著書を巡るこのような一幕が見られた。

■小池議員の「引用」?

 3月4日の参議院予算委員会で質問に立った小池晃参議院議員は、安倍晋三総理に対して、次のような質問をした。

「自民党の石破茂幹事長は『日本人のための「集団的自衛権」入門』の中で、アフガン戦争についてこう書いています。『論理上は日本の集団的自衛権の行使が可能になっていたならば、あの(アフガニスタンの)戦いに自衛隊が参加した可能性はゼロではない』。そういうことですね」

 小池氏の質問の狙いは明らかだろう。自衛隊がアフガンにまで出向く「可能性がゼロではない」とはなんて危ない権利なんだ、なぜそんなことを許さねばならないのか、そんな危険な権利には断乎反対だ、ということである。

 従来の共産党の立場からすれば、この主張は当然ということになる。行使容認の是非については、今後も活発な議論が交わされることが期待されるところだ。

 ただし、ここで問題にしたいのは、小池議員の「引用」の作法である。小池氏の言う通りであれば、あたかも石破氏は「場合によっては自衛隊をアフガン戦争に派遣したかもしれない」と述べているようでもある。

 しかし、実際にはどう書いてあるのか。少し長くなるが、該当箇所を石破氏の著書『日本人のための「集団的自衛権」入門』から正確に引用してみよう。

「アメリカが個別的自衛権を行使した最近の例は、9・11同時多発テロの後のアフガニスタン攻撃です。この時はアメリカが個別的自衛権を行使し、NATOが集団的自衛権を行使して参加しました(その後、集団的安全保障に切り替えた)。ですから、論理上は、日本の集団的自衛権の行使が可能になっていたならば、あの戦いに自衛隊が参加した可能性はゼロではない、ということになります。(注・この下線部が小池氏の引用箇所)
 ただし、これもまたよく誤解されるところですが、可能だということと、実行する、参加するということはイコールではありません。自民党の基本法案においては、行使にあたっては、国会の事前承認を必要としていますし、『行使できる』と『行使する』はまったく別なのです(略)。
 実際に、9・11の後に、さまざまな条件が整備されていて、法的に『行使できる』状況だったとしても、日本が『行使する』となったかといえば、はなはだ疑問です。
 9・11に関して言えば、日本人も多数犠牲になっています。ということは、個別的自衛権を発動することも(強引な解釈をすれば)可能だったかもしれません。
 しかし、日本人の感覚としては、いくら国民が殺されたからといって、それで『自衛権を発動して敵国を攻撃しよう』とはまずならないでしょう。それがほとんどの日本人にとっての常識的な感覚だと思います。
 つまり、問題は『集団的』か『個別的』かではなく、最後はその国それぞれの判断によって決めることなのです」(同書第二章より)

■主旨を変えてしまう「つまみ食い」

 いかがだろうか。つまりここで書かれているのは「論理的にはゼロとは言えないが、実際に国民や日本政府がそのような選択をすることは現実問題としては考えられない。行使可能と行使には大きな違いがあるのだ」ということだ。これはごくまっとうな話だろう。

 そもそもこの章は、「反対派」の人たちの「懸念や疑問」に対して、ひとつひとつ説明をしていく、という体裁になっている。「アフガン戦争への参加の可能性」についてあえて触れているのも、懸念を持つ人がいるという想定をしたうえで、「論理的にはゼロではないが、まずありえないことだ」と説明をしているのだ。現実世界の多くのことは「可能性はゼロ」とは言えないのは常識で、石破氏の文章の主眼は明らかだ。

 このような文章のごく一部を抜き出して、主旨を変え、自分の都合のいいように用いるのは、引用というよりも悪質な「つまみ食い」である。

■建設的な議論を

 同書には、次のような文章もある。

「過去の歴史を見ていると、『戦争反対!』と声高に言っている人が、急に一八〇度転回するということはあったように思えます。単なるスローガンや意図的なレッテル貼りは、論理が脆弱であり、また危険ですらあると考えます」

「個別的だから安全で、集団的だから危険だということはありません。にもかかわらず、解釈をあれこれとひねり回して、実質的な議論にまで入っていけないのが、日本の現状なのです」

「個別的か集団的か、ではなく、その行動が日本の安全保障にどのように役に立つのか、日米同盟にどう影響するのか、という具体的な議論に進んだほうが、国民にとって実のあることなのではないでしょうか」

 果たして小池議員はこれらの文章にも目を通していたのだろうか。

デイリー新潮編集部

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