虐待後遺症との長い格闘を追う/『誕生日を知らない女の子 虐待』
本書のテーマは被虐待児の〈その後〉。子どもへの虐待(親からのものが多い)が深刻なのは、たとえ虐待者から引き離し、好適な環境下ですみやかに治療と養育を開始したとしても、彼らの心には「親からも裏切られた」という深い傷が残り、以後の人格形成に著しい悪影響を及ぼすと考えられるからだ。虐待者からの救出は重要事ではあるが、事柄の前半、序章にすぎない。本当の核心は、フラッシュバックし彼らをおびやかし続ける虐待後遺症との長い格闘にある。本書で描かれるのも、そんな子どもたちの覚束ない足取りと、彼らを支える「ファミリーホーム」の養育者たちの姿だ。
現在日本では、両親・保護者が育てられない子どもたちは「社会的養護」の場に移される。里親などの「家庭養護」、児童養護施設などの「施設養護」、小規模グループケアなどの「家庭的養護」の三種類がある。ファミリーホームは、養育者が五、六人くらいまでの養護児童をわが子同様、家庭で育てるもので、分類上は「家庭養護」に含まれる。二〇一二年現在、全養護児童四万七千人のうち、九割が施設養護の場で暮らしている。
養護施設児の場合、両親の虐待・酷使一四・四%、放任・怠惰一三・八%、精神疾患等一〇・七%、就労九・七%、経済的理由七・六%……などが主な理由だが、虐待に限らず施設に預けられた時点で彼らは、ひとしく親から裏切られるという深い心の傷を負っている。
本書にはキーワードがいくつも登場する。「愛着障害」「孤独」「喪失」「解離」「フリーズ」……等々。「愛着」とは、赤ん坊が親に対して抱く絶対依存の感情。安心しきって母親の抱擁に身をゆだねる信頼関係を指す。その安心感、危険を感じればすぐに駆け戻ることのできる親の膝があればこそ、子どもは徐々に外界に向かい、世の中に出て、不愉快なこととも折り合いをつけるだけの社会性を獲得するようになる。
もし、親の虐待やネグレクトによって愛着が拒絶されると、子どもはかけがえのない存在の喪失に直面し、孤独を強いられる。そんな折の防御行動が、感情と行動をバラバラにし、複数人格をタマネギの皮のようにその都度、脱ぎ捨ててゆく解離性障害であり、一切の感情を表に出さずに虐待をやり過ごすフリーズだ。実際、虐待を受け続けると、脳に器質的変化も起こるというから恐ろしい。
以上、要約で語ると全く味気ないが、本書では美由ちゃん、雅人くん、拓海くん、明日香ちゃん、沙織さんなどと、養育者ともども被虐待児が固有名詞(仮名)で紹介される。一般論に解消されず、制度批判にも陥らず、もっぱら彼らに近づき見つめ合おうとするまなざしは不思議なほど温かだ。文章は素直で、不覚にも目頭の熱くなること一再ならず。
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