ものを捨てることは過去と向き合うこと/『捨てる女』

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 ものを捨てるというのはこんなにたいへんなことなのか。

 イラストルポライター内澤旬子さんのエッセイ『捨てる女』は格闘のプロセスがとにかくおもしろくていっぱい笑わされるが、最後に粛然とさせられる。

 おもしろいのは彼女の猪突猛進ぶり。乳がんの手術を受けてホルモン治療をしたあたりから、それまでの、あふれる本の隙間に布団を敷いて寝る暮しがとつぜん嫌になり、何も荷物のないがらんとした部屋で生活したくなる。

 離婚して、引っ越しを決意し、そこからは捨てて捨てて捨てまくる。長年使ってきたバックパックなど旅の一式。製本のワークショップに使う道具類。知り合いからもらった古い家具。どれも愛着のあるものなので、心の中で「mottainai」のマータイさんと、「仕分け」担当の蓮舫議員がせめぎあうものの、つぎつぎ蓮舫に勝たせているうちに捨てまくる快感が芽生えてくる。

 膨大なイラストの原画は展示会を開いて売った。食べものは捨てられない性分なので、何年前のものかわからない梅酒の梅や、十数年前に取材でもらったジャム、まずい麦茶、実家から送られてきた、とっくに消費期限が過ぎた乾燥もずくや乾燥プルーンといったあやしげなものもちびちび消費していく。

 東日本大震災が起き、たちまちトイレットペーパーが買い占められると、憤然として「尻を紙でぬぐう」生活を捨てる。なんと水差しを改良してイラン式に尻を洗う道具を作るのだが、作ったあとで、携帯ウォシュレットなるものが売られていることに気づく。この工夫して自分で何でも作ってしまう精神と猪突猛進、ふたつの組み合わせがいつも、彼女をとんでもないところへ連れていってしまう気がする。

 最大の難物は本だ。海外の旅先で、「二度と出会えないかもしれない」と思い買い集めてきたイラストとデザインの資料本が押し入れの下段が埋まるほどあり、これも苦慮の末、古本屋を通じて市場で売ったが、新刊価格の五十分の一ほどの値段しかつかなかった。結局、どうしても手放せない本は、ひとまず実家に預かってもらう。

 格闘の末に無事、新しい部屋に引っ越すことができるのだが、それですっきりさよなら、とはならないのだから人間の気持ちというのは不思議だ。長年の暮らしでためこんだものは、血肉のように自分自身の一部になっていて、その一つひとつに記憶が残されている。ものを捨てるというのはつまるところ自分の過去と向き合う作業で、すっきりした新しい暮しを手に入れるために膨大なものを捨てていくプロセスを書いた『捨てる女』は内澤さんの半生記としても読める。

[評者]佐久間文子(文芸ジャーナリスト)

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