対話による緻密でスリリングな分析/『村上春樹で世界を読む』
村上春樹は幸せな作家だ。何冊ものオマージュ本が捧げられ、無数の論文が書かれ,批評家たちが競って採り上げる。村上作品の何が人々を惹きつけ、情熱を掻き立てるのか? 本書はその謎を解く糸口を提供してくれる。語り合うのは、長年、新聞社の学芸部で活躍してきたベテラン文芸記者(重里氏)と、大学で創作を教える傍ら批評や小説を発表している作家(三輪氏)。『ノルウェイの森』から、最新作にいたるまでの主な長編小説八篇と、『アンダーグラウンド』『約束された場所で』の二長編ノンフィクションを一章ごとに採り上げるという構成で、時には互いに共感し、時には反論し合いながら、対話は深まってゆく。作品に残された幾つもの謎や、読み過ごしがちな細部、主人公たちの言葉遣いなどに緻密な分析が加えられていく様はスリリングですらある。
重里氏は、『ノルウェイの森』に登場する療養施設「阿美寮」を村上作品に通底する重要なモティーフとして重視し、現実と共同体の間で引き裂かれる人間というテーマを抽出する。また、作品の系譜を辿り、「構造や内容はどんどん大きく、複雑に、変貌している。さらに、その変貌が、時代の変貌を重層的に映し出すようにも感じられる」と指摘。三輪氏はこの作家のオウム真理教への深い関心の背後に、全共闘運動の影響があるとして、政治体験の重要性に注目する。また、「物語を否定しながら、面白い物語を組み立てる」ところに「最大の文芸的達成」を見る。二人の対話者は、自らの私的な体験や懊悩などにも触れながら、村上作品の魅力を探り、そこに「この地上世界を肯定する力」を感じ取るに至る。
現代にここまで思いを込めてさまざまな視点から読み込まれる作家がいるだろうか。まさに作家冥利に尽きると言うべきだろう。でも本当に幸せなのは、自己や時代を見つめながら、同時代の文学を巡ってかくも熱く語り合うことができた二人の著者のほうではないだろうか。