無宗教でも宗教系私立へ行く日本人/『宗教と学校』
オビの惹句は「無宗教の日本人が、なぜ宗教系の学校を選ぶのか?」。たしかにそのように問いたくなるくらい、現今の日本には宗教系の学校があふれている。大学でいうなら、上智、立教、青山学院、明治学院、南山、同志社、関西学院、駒澤、龍谷、國學院……等々の大規模校、有名校がすぐに思い浮かぶ。大学ばかりではない。宗教系の小・中・高校も少なくない。それらに通う児童・生徒・学生の総数は、明らかに「無宗教なはずの日本人」からは説明できない。
本書は、そうした宗教系諸学校が最初に設立された経緯、とりわけ戦争に傾く時期の宗教統制策に由来するもろもろの苦難をふくむ歴史、学生集めなどで現在直面する経営的課題、将来への方向性などを概観する。併せてそうした宗教系学校のありようを通じて見えてくる「日本人の宗教性」そのものの特徴をも見極めようとする。
一口に宗教系の学校といっても、やや子細に眺めるならキリスト教系が小学校から大学まで五六五校で全宗教校の約六七%、仏教系が二三五校で約二八%、神道系、新宗教系はそれぞれごくわずかにすぎない(二〇一二年)。これは宗教別信者数(神道系約五一%、仏教系約四三%、キリスト教系一%)とは大いに異なり、幕末以来ついぞ日本の人口の「一%の壁」を破ることのできなかったキリスト教が、学校に限っては全宗教校の三分の二を運営していることになる。
日本のキリスト教は、信者数の割に大きな影響力をもち、キリスト教式結婚式が好まれるなど社会に好意的に受容されてきたといわれるが、原因はこのあたりにあるのかもしれない。信者作りには失敗したが、シンパ作りは大成功。学校設立の目的は十分達せられたというべきだろう。そんな雰囲気は現在もつづいており、進学を前にした女子中学生たちの間で好ましい進学先、そうでない進学先として「3K」「3B」がいわれているそうだ。Kは「キリスト教系・かわいい・かねもち」、Bは「仏教系・ぶす・びんぼう」。ああ、なにをかいわんや。
宗教系の学校も私立校である以上、経営努力、つまり生徒・学生集めに励まねばならない。宗教色を薄めて広く門戸を開くのと、受験やスポーツなどで名を馳せ希望者を集めるのと、主に二つの方向が模索された。甲子園常連校や東大・京大の合格者上位校で宗教系の高校を挙げるのは容易なことだ。
その際、興味深いのは、キリスト教系の受験有名校の場合、ほとんどがカトリック校(栄光、聖光、ラ・サール、洛星など)で、プロテスタント系は目立たない。カトリック校では独身の聖職者が教師を務めることが多く、ついつい全生活を受験指導に当てるから、などと説明されるが、ハテ。
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