取り壊される、安部公房『砂の女』の生まれた家
作家・安部公房が35歳で新築し、以来20年間あまりを過ごした調布の家が、この冬、取り壊されることになった。
『砂の女』、『他人の顔』、『箱男』など数々の名作を生み出す拠点となった空間は、没後20年を経たいまもなお、作家の面影を色濃く残している。その最後のたたずまいを記録したグラビアが28日発売の雑誌「考える人」2014年冬号に発表される。
安部公房が中野区野方の借家から、調布市入間町(現若葉町)に構えた新居に引っ越したのは、1959(昭和34)年4月だった。京王線仙川駅から10分ほど歩いた、見晴らしのいい高台の斜面に建つ、シンプルで美しい木造2階建て。愛車の真っ赤なジープが眠るガレージ脇の階段を上ると、表札には欧文で「ABE」の文字がある。設計には美術家であった妻の真知が携わり、夫の希望を入れてル・コルビジェ風のモダニズム建築を手本にしたという。
玄関を入ってまず目に入るのは、応接間の扉。4列7段に区切られた格子の中に、20cm四方ほどの染色用の伊勢型紙が両側からガラスで挟みこまれている。それぞれ模様の違う型紙が、まるでステンドグラスのように美しく光を透かしている。応接間からリビングに通じるドアも同じような格子ガラスの意匠だが、こちらは片面が磨りガラスという凝りようだ。このドアも真知の作品だという。
応接間にはL字型の大きなソファがあって、ここに仲間や編集者たちが大勢集った。壁は特注の桜の突板を貼った建材で、木目が美しい。リビングにはBELTONのアップライトのピアノ。よく鍋を囲んだという丸テーブルが、部屋の真ん中に置かれている。
二階の書斎のソファ。ここに胡座をかいて、膝に画板を載せて執筆した。
2階に上がると、長女ねりさんの部屋に続く廊下の両側には書棚が設(しつら)えられている。書斎の南向きの大きな窓からは、やわらかな木漏れ日が射す。その窓際に執筆用のデスクがあるが、作家はデスクの前に置いた一人用のソファに胡坐をかいて、膝の上に載せた画板の上で執筆するのが常だったという。小説『砂の女』、『他人の顔』、『燃えつきた地図』、『箱男』、『密会』、戯曲「友達」、「棒になった男」などなどの名作は、1980(昭和55)年4月に箱根町の山荘を仕事場とするまで、この部屋で生み出されたものだ。
書棚に並べられた本はすでに何度か整理されて、残念ながら作家自身が並べたものとは大幅に変わっているが、1ページだけ書き込みのあるメモ帳や、愛用していたカメラなど、作家の指先の感触が残るものが部屋のあちこちに残されていて、最後まで作家の気配が濃厚に漂っていた。「考える人」では「グラフィックスペシャル」としてこれを特集している。