超問題作『ねじ式』を書いたつげ義春氏 27年間の休筆のワケ
1964年、伝説的なマンガ雑誌「月刊漫画ガロ」が創刊した。当時一世を風靡していた週刊少年漫画誌とは一線を画し、マンガ表現の可能性を追求するような野心的でマニアックな作品が並んでいた。そのなかでも多くの著名人や芸術家そして同業のマンガ家達に衝撃を与えた一人の作家がいた。つげ義春氏である。
つげ氏の作品は多くの人々のマンガ観を揺るがし、その高度な画力でマンガ表現の幅をどんどんと広げ、斬新で誰も見たことのない世界を生み出していった。
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代表作『ねじ式』はもっとも特異な作品で、当時は他に比べるものがないほど過激で斬新なマンガだった。
明治学院大学教授で美術評論家の山下裕二氏は、つげ義春氏のデビュー60周年を機に特集した雑誌「芸術新潮 2014年1月号」(12月25日発売 新潮社)のなかで、つげ氏のことをこう語っている。
「つげさんのマンガというのは要するに文学と美術のいいとこ取りの表現なんですね。文学でも美術でも達成できない表現。マンガという表現方法だからこそ成しえた本当に結晶度の高い作品だと思います。」(山下氏)
つげ義春氏がマンガ界に与えた影響は大きく、70年代、80年代にも何度も「つげブーム」起きている。マンガ業界のみならず、画家や詩人、劇作家に文学者、俳優に映画評論家、様々な人々の間で語られ、他の作品のモチーフとされ、映画化され、何度も形を変えて出版され、新しい世代にも熱狂的なファンを生み出していった。
しかしその後つげ氏は87年を最後に新たな作品を描くことがなくなった。27年間の休筆の間、つげ氏は何を考えていたのだろうか。「芸術新潮」のなかで山下氏がつげ義春氏に4時間を超えるインタビューを行っている。
インタビューのなかでつげ氏は、99年に妻を亡くしたことや精神的な不調により、離人症になりかかっていたと語る。また同居する家族の問題や、目の病気により細かい作業はできないという。
ファンとしては残念なばかりだが、同インタビューではお互い駆け出しのマンガ家だった赤塚不二夫氏とのエピソードや、水木しげるプロダクションでの仕事、更には好きな映画や趣味の話、つげ氏の思うマンガ表現のなかのリアリズムとシュルレアリスムについての考え方まで存分に語られている。さらに同誌には名作「紅い花」や代表作の原画も公開されており、永年のつげファンから、作品に触れたことのない新しい世代まで必携の一冊となりそうだ。