独自の話芸を確立した人/『上岡龍太郎 話芸一代』

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 上岡龍太郎への聞き書きではすでに『上岡龍太郎かく語りき』(一九九五年、ちくま文庫収録)が出ているが、『かく語りき』が氏の半生をひとり語りするかたちだったのに対して、『上岡龍太郎 話芸一代』は、漫才の「漫画トリオ」活動停止後の、「上岡龍太郎」としての芸能活動に焦点をしぼって書かれている。

 歌舞伎の中村勘三郎の葬式で、盟友坂東三津五郎は「肉体の芸術ってつらいね。そのすべてが消えちゃうんだもの」と弔辞を読んだが、それでも歌舞伎は映像や写真に残る。この本で語られている上岡の「話芸」は、ほとんどが記録として残っていないし批評もない。その「消えてしまったもの」を、二〇〇〇(平成一二)年に引退して以降、メディアとの接触を絶っている上岡本人と、関係者への聞き取りで復元しようと試みる。

 著者戸田氏はテレビやラジオ番組の放送作家。早逝した桂枝雀と親しく、これまでに桂米朝、笑福亭松鶴、夢路いとし・喜味こいしといった人々の聞き書きを手がけてきた。上岡もまた、上方の笑いを究めた一人である。

 横山ノックという天性の〈ボケ〉を中心にすえた「漫画トリオ」の笑いから、テレビでおなじみの、知的で皮肉のきいたひとり語りへとスムーズに転身したように見えた上岡が、ラジオ、漫談、講談、芝居とさまざまな形式に挑戦していったことが順を追って語られる。

 あるとき著者は、枝雀から〈あのお方(上岡)は、いったい何を目指してはんねや?〉と聞かれたという。それぞれの経験がひとり語りの芸にいかされているにせよ、上岡はそのいずれのジャンルにもとどまらなかった。〈伝統芸以外で舞台に立っている人というのは恐らくものすごく不安な気持ちで舞台に立っていると思う〉と上岡は語る。芸が好きで批評眼がある人だからこそ、独自の話芸を確立したと見えてもなお、「タレント」というあいまいな場所には安住できなかったのかもしれない。

 桂米朝や藤山寛美といった大物にもかわいがられた。講談をやれば米朝から教えてやると言われ、芝居の一座を立ち上げれば寛美が演出も出演もしてあげようというのに、上岡の反応は〈そんな畏れ多い〉〈どないしょう、困ったな〉。芸人ならだれもが飛びつきそうな申し出に、遠慮し、気持ちが一歩退いてしまうのはふしぎな個性だ。

 なぜ引退したのか、という著者の質問には〈今となってはもう自分でも理由が分かれへんねんね〉と答える。〈今はもうぼくには出番はないやろなあと思う〉とあっさりいうのがこの人らしい。

 芸能の記録という点で、漫談・講談の速記や上岡流講談「ロミオとジュリエット」のCDがついているのがありがたい。

[評者]佐久間文子(文芸ジャーナリスト)

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