ヒクソン・グレイシーをパニックに陥れたある格闘家
デビュー戦で訪れた敗北の恐怖
400戦以上無敗の男ヒクソン・グレイシー。そんな彼にもデビュー戦というものは当然あった。
相手はレイ・ズール。120戦して116勝4分、当時ブラジル最強の男だった。ヒクソンより身長で15cm体重で30kgほど大きく、圧倒的な体格差があった。第一ラウンド、百戦錬磨の怪物にヒクソンは追い込まれていた。インターバルの間、椅子に座り込んだヒクソンはコーナーで待つ父親にこう言ったという。
「お父さん、僕は死にそうに疲れている。もうこれ以上、戦えないよ」
なんという弱々しいセリフだろうか。あのヒクソン・グレイシーの言葉とは思えない。しかし父親はその言葉に耳を貸さず「向こうだって疲れている」と言い、ヒクソンは勇気付けられ、押し出されるように立ち上がった。
ヒクソンは第二ラウンド、父親の言ったとおりズールが自分よりも疲れていることを知り、結果的に勝利を掴んだ。
その試合でヒクソンは最大最悪の敵は自分自身のネガティブなメンタルだと悟った。自分の心の「もうこれ以上戦えない」という恐怖に支配された声に従っていたら敗北していたのだ。
ヒクソン流トレーニング「カーペットぐるぐる巻き」
困難な戦いの中、誰の心の中にでも芽生える“恐怖心”。ヒクソンは近著『心との戦い方』で恐怖心についてこう語っている。
「恐怖心を持つことは、決して間違いではない。それは、自らを保護するために、内面から沸き上がってくる感情なのである。」
そして恐怖心をコントロールする訓練が必要だと述べ、そのトレーニングを始めるきっかけとなった出来事を語っている。
ヒクソンが少年時代、柔術の道場で逞しい大人の男性に締め落とされそうになったことがあった。逃げ出すことができずパニックに陥ったヒクソンは「やめろ!」と叫び解放された。
ヒクソンはそんな状態に陥ったことを恥じ、あるトレーニングを始めた。
家に帰ったヒクソンは床に敷いてあったカーペットに横たわり、ぐるぐる巻きになり、すっぽりと包み込まれた。窒息の恐怖と戦いながら二分間を耐えると、わずかながら息ができることに気づいて落ち着きを取り戻し、目を閉じゆっくりと腹式呼吸を始めた。それがヒクソンの内部にある“恐怖心”を初めて克服した瞬間だった。
以来、ヒクソンはカーペットにぐるぐる巻きにされることを自分のメンタル・トレーニングとして、週に一回くらいの割合で、二ヶ月ほど続けた。
このトレーニングのおかげで、自分よりずっと大きな相手にのしかかられてもパニックにはならなくなったという。
世界最強の男のトレーニング法はとても独特だったようだ。そしてそれは少年時代に自分で思いついたというのだから、いかに末恐ろしい子供だったのか、将来を予感させる凄まじいエピソードである。
(※カーペット・トレーニングは危険ですので、お子様は行なわないでください)