潔く、含蓄のあるミケランジェロ入門/『神のごときミケランジェロ』
建築家にとって、ミケランジェロは、ちょっと特別な存在だ。まるで、先人の成果を無視しているかのよう。はるか遠い魂の故郷に帰って、そこから自分の精神だけを頼りに、一気に今を飛び越え、先に進む。歴史の論理的展開というより、彼個人の特異な個性のなせるわざ。なのに、結果的に、新しい時代を切り開いてしまう。そんな建築家は、そうそういない。
いやいや、ル・コルビュジエはその希有な例、と指摘したのは、本誌先々月号の特集の丹下健三だ。1939年という早い時期に、「MICHELANGELO頌――Le Corbusier論への序説として」という文章で、まさにミケランジェロとル・コルビュジエの二人を「最高の使命」を担った建築家として並べ、論じている。幾何学を氷の殿堂として凍結させた先人たちに対して、たくましい造形力をもってそれを打ち砕き、幾何学に生命を吹き込んだのがミケランジェロであり、その現代版がル・コルビュジエではないか、と。
どのくらいミケランジェロが建築家としてすごかったかと言えば、たとえば、ローマのカンピドリオ広場。当時のカンピドリオの丘は、東と南に荒廃した建物が2つ、無秩序に建っている荒地にすぎず、そこに至る舗装路は、丘の北に建つ聖堂から下りる階段のみだった。でも、ここが帝政ローマ時代の大神殿があった場所だったからだろう、そこは同時に、凱旋式や桂冠詩人の戴冠式がおこなれる場でもあった。ミケランジェロも1537年、この場所でローマ市民権を授与されている。そして、その授与とおそらく同じ年、彼は、教皇から、マルクス・アウレリウス像をこの場所にどう置いたらいいか考えるよう依頼された。ミケランジェロは答えている。
1)東の建物を正面とする軸線を設ける。
2)その軸線を強調するために、東の建物の、その軸線上に新たな塔楼を設け、既存部を新たなデザインに改修する。
3)南の建物も新たなデザインに改修し、それと同じ建物を北に新設(!)して、軸線をさらに強調する。
4)軸線を西に延長して、街から登る大階段を設け、軸線をさらに強調する。
5)中央に生まれた台形の広場に楕円の舗装パターンを施す。
6)その中央に、マルクス・アウレリウス像を置く。
度肝を抜く案とは、まさにこのことだ。騎馬像をひとつ置くための、とてつもないデザインの連鎖。そこまでやる? と、受け取った行政官はたまげたに違いない。でもほんとうにすごいことは、軸線という、それだけでは単なる数学的幾何学にすぎないものに、先へ先へと足を向かわせる運動を吹き込んだことだ。これをもって、運動をもとに都市的スケールで空間を組織化するという、建築の新しいデザインのあり方が生まれた、と言ったっていい。これこそ、このプロジェクトがなした革命だった。
彫刻家としても、画家としても、建築家としても、あまりに巨大で、あまりに複雑な存在だったミケランジェロ。カンピドリオ広場は、その氷山の一角にすぎない。なのに、120ページほどの分量で、彼の全容をおぼろげながらも浮かび上がらせる。本書は、そんな無謀とも言える試みをおこなっている。だらだら書いていたら、とうてい終わらない。だから、潔い。ピントを合わせる作品の取捨選択も潔ければ、それを入口として観ていく見方も潔い。どの言葉も、さらっと聞こえるけれど、含蓄が深い。
「建築」の章のリード文には、ミケランジェロの言葉が引用されている。
「はっきりしているのは、建築の各部分は人のそれにあたるということです。人体について、とりわけ解剖学を学んだことの無い者やそれをよく修めなかった者には、理解することなどできません」
ルネッサンスの芸術家が、その基礎に人体を置くのは、まぁ当然のこと。でも、「とりわけ解剖学」? なぜ? もしかしたら? と、謎が謎を呼ぶ。
ほら、この本には、作家の生涯をただ紹介して終わってしまう入門書ではけっして見えてこないその先が、いたるところに隠されているのだ。