先人たちの思索と真摯に格闘する/『ナショナリズムの復権』
「六畳一間の被災者借りあげ住宅から、勤務先へかよった数カ月、ほとんどとりつかれたように文字を刻んでいた。確かに逃げまどい、住宅を探す日々は辛いものだったが、こうした状況で文字を書かずして、どうして丸山眞男を批判し、吉本隆明や柳田国男の言葉を写す権利があるか、そう思い続けていた」
『ナショナリズムの復権』という挑発的なタイトルの本の終わりに記された、ずいぶん「熱い」ことばである。その熱さは、3・11後の日本に対する切実な著者の問いかけゆえなので、けっして暑苦しくはない。
福島県いわき市にある東日本国際大学に勤める著者の先崎彰容(せんざきあきなか)准教授は、近代日本思想史の専門家である。被災地と東京を往還し、剥き出しにされた大地と、あっさりと日常に復帰していった東京との落差を肌で受けとめる。国家と東電という声高に批判、罵倒できる対象を得て、「絶対の正義」を握りしめた知識人への懐疑を隠さない。いわき市民に毎年出る四千円の謝礼金を東電から軽い気持ちで受け取ってきた自分を抜きにしては、原発の是非を語らない。騒々しい議論からいったん身を引き離して、3・11の衝撃を引き受けようとする姿勢は、むしろ清々しい。
ナショナリズムを論じることは日本では厄介なことである。否定にせよ、肯定にせよ、妙にボルテージが上がり、うわずった議論になる。そんな中で、萱野稔人『ナショナリズムは悪なのか』(NHK出版新書)は切れ味鋭く、「ナショナリズムはファシズムをもたらしたからダメ」という反ナショナリズムを論理的に批判した快著だった。それに対して、先崎のこの本は、国家を考え抜いた先人たちの思索を、先人たちそれぞれが時代の要請に全身で応えた書として捉え、そこから学ぼうとしたものだ。
著者が「真剣に格闘する」対象として選んだのは、ハナ・アーレント『全体主義の起原』、吉本隆明『共同幻想論』、柳田国男『先祖の話』、江藤淳『近代以前』、丸山眞男『日本政治思想史研究』である。そのかたわら、橋川文三、網野善彦、柄谷行人、高坂正堯、オルテガ、ポール・ヴァレリーなども参照される。それらの本や著者は、「知の意匠」として持ち出されるのではない。著者の思索の必要によってひもとかれている。
「ナショナリズムは誤解されっぱなし」というのが著者の問題意識である。その誤解は三つある。全体主義、宗教、デモクラシー(ポピュリズム)。それらと等式で結びつくとされたことで、ナショナリズムは危険なものとして不当に貶められてきた、という立場である。
その誤解を慎重に(慎重すぎるかもしれない)解きほぐしていく過程はおもしろいが、この本を独特なものにしているのは、その根底に「死」への誤解が据えられている点だろう。
「第二次大戦が世界中で大量の犠牲者を出した以上、戦後のこの誤解は確かに本質的で、納得がいく」「しかしだからこそ、死の匂いすべてを否定する必要はない」「むしろ勇気をもって匂いの差に敏感でありたい」
「死」がもっとも露出した昭和二十年の春に、柳田国男は『先祖の話』を書いた。その時、柳田は超人的な民俗学者から稀有な思想家になった、と著者は考える。大量の死者、それも無念を残したままの若い死者、家の崩壊により宙をさまよう霊魂を前にして、柳田は「数千年にわたるこの国の家と死、人々は霊魂をどう理解し扱ってきたのか、その慣習に思いをめぐらし」た。
たしかに『先祖の話』は柳田のいつもの晦渋さが弱まって、ストレートに響いてくる本である。「死者の側から」日本の姿を見ている切実さにあふれている。柳田のような天才であっても、「自分の足元が崩れ去るような巨大な変化」が反省の大きな糧になったのだろうか。
「戦争は思想家を生む」という一語が、本書の中に出てくる。著者が本書で「格闘」した先人たちは皆、一九四五年の心の衝撃をことばに刻んだ思想家である。それ故に、その思想を批判するにしても、たとえば丸山眞男の内実に最大限に寄り添って、その上での否定となる。そこには快哉はない。
柳田と対比的に登場する網野善彦の場合でも、斬新な中世史家としてでなく、思想家・網野として批判される。一九六八年を抽象化し、移動と流動性と拡張を重要視する「土地から離れ」た思想家としての網野が、「定住」を重くみた吉本・柳田と鋭く対峙する。しかし、移動する漂泊者中心の網野史観では、死者との交流はないではないか、と。
「定住の暮らしとそこで営まれる信仰、家について考え、自分の力よりも背負ってきたものを受けいれること。これが明治以来忘れられつつあった本当のこの国の死生観であり、倫理観だったのである」
「死者は死んで後もなお、家を見守るという責任=倫理を課されていること、これが柳田のナショナリズムを支えている思想である」
これらのことばには、明らかに3・11の「死」の反響がある。津波の傷跡、放射能への不安、それらに現実的に対処することだけでは済まされない、もっと根源的な問いを導き出そうとする志が潜んでいる。
二〇一一年が、一九四五年に匹敵する日本人の経験になるためには、まだまだ時間が必要だろう。その前に、二〇一一年は風化しないとも限らない。そうならないように言っておこう。二〇一一年の思想家、誕生せよ、と。
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