辛党の甘い記憶/『地元菓子』
友人の陶芸家からこんな一言を聞いた事がある。「教育の甲斐あって来客の手土産は全部、酒になった」と。超辛党である。この一言を聞いて「教育ってどうしたら出来るんだろう。私もあやかりたい」と、思うくらい、甘いものには興味が無い。
……と、思っていたのだが、この『地元菓子』を開いてそれは嘘だと気づいた。
著者の若菜さんほどではないが、日本全国のモノ作りを探して歩く仕事をしているので地方に行く機会は多い。そんなとき菓子屋の看板を見かけるとつい覗いてしまう。ナッツに目のない人間としては、クルミの串団子を見つけた途端、足が止まる。生ものは持ち歩きにくいのに、むくむくとわき上がる食い気に負けてしまう。横に並ぶゴマだれも大好物。かといって2本じゃ申し訳ない気がして、みたらしも買ってしまい、宿まで待てば良いのに我慢しきれず電車の中で包み紙を開けて食べ始め、1本だけと思いながら、食べかけの串が邪魔だし、汁が漏れそうだから…と言い訳をしながら、結局3本食べている。
と、これは一般的に考えられる「地元菓子」の範疇の話。若菜さんのカテゴライズには予想を裏切られた。団子屋のようなどこの町にでもある、店の奥で作り、出来るなり店先に並べている一店舗経営の和菓子屋の集積だと思ってページをめくった。いきなり現れるのは洋菓子屋のモンブランとシュークリーム。あぁ、これも店の奥で作られているなぁ。パラパラめくってみると、袋菓子あり、えびせんあり、ドイツパンあり。どの地域にどんな菓子がある、というように升目状にきちんと仕分けされていることを予想していると裏切られる。謎解きあり、作り方あり、雑談あり、分析あり、地図あり、思い出あり、そしてデータ満載。さらに縦横無尽に話は進む。この「欲張りな幅広さ」そして「郷愁」こそ「ザ・日本の菓子文化」だ、と腑に落ちた。菓子の本にドイツパンまで出てきて驚くだろう。菓子に入るのか?と堅い事はいっちゃいけない。「郷愁」という「地元菓子」に必須の要素はクリアしているのだから。
菓子と言えば、楽しみの一つは包装紙。和菓子屋の、木版で作ったような図柄が一色で刷られている包み紙には独特の味わいがあり、包み紙目当てで再訪することもある。しかしこんなジャケ買いは邪道らしい。味が良く、地元に根ざしたお菓子なら〈ためらい無く捨てられる〉というパッケージも紹介されている。昨今は地場のお菓子もデザイナーを入れて、やたらとおしゃれになっているが、昔から地元で愛されている袋菓子の多くはどうにもこうにもあか抜けていない。あれは大体、地元の印刷屋さんがサービスでデザインしてくれるものなのだ。よそ者のデザイナーが作ったものよりよほど地元に根ざしている。それを知ってか知らずか、若菜さんは、通りすがりのスーパーや商店街のお菓子にも優しい。
とにかく要素の多いこの本は旅に携帯するのに向いている。筋書きがある本は一度読めば終わってしまうが、旅の車中でページをめくると、初見で気づかなかったお菓子や挿話が出てくる。時系列で並んでいないので、気になった菓子がどのページにあったか探しているうちに、前は気にならなかった別の菓子が気になってくる。そして、次はこの菓子に会いに、その町に行きたくなってしまう。旅のお供としては最高だ。
ある1ページ、空白をたっぷり使い全文ひらがなの印象的なページがある。ネットで調べたことを確かめるような今時の旅を、戒めるようにこう書かれている。「たびのきほんはあるくこと。(中略)そうすることではじめてみつかることがある。(中略)だからたのしいあるくたび」。宣言文のような、このことばは旅の真髄を語っている。予測しない出会いこそ旅。味覚は一瞬でも、甘い記憶はいつまでも心に残り、人を豊かにさせるものだ。