難病に立ち向かう妻と家族の記録/『みぞれふる空』

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 日本には現在、「特定疾患」として認定された難病の患者が約七十八万人いるとされている。二〇〇九年六月、著者の妻は「脊髄小脳変性症」を告知された。主に小脳の萎縮で歩行困難や言語障害を引き起こすこの難病の患者は全国で三万人超。根本的な治療法はまだ開発されていない。妻は「発病して五年以内に歩けなくなる」と言い渡される。
 本書は、難病に立ち向かう妻の闘病を見つめ、介護する傍ら、思春期を迎えた二人の娘を育てなければならなくなった夫が綴った家族の記録である。
 著者は、徳島県三好町(現・東みよし町)で生まれ育ち、徳島県庁に一年勤めた後、早稲田大学教育学部に進学。卒業後、毎日新聞入社、三十二歳のときに赴任先の熊本県八代市で、医療事務をしていた二歳年下の佐恵香夫人と結婚した。二〇〇五年、著者は東京本社に単身赴任するが、妻の異変はその間に始まっていた。最初の兆候は、足の感覚が鈍くなり、自転車に乗れなくなるといった形で表れた。夫婦でセカンド・オピニオンを求めて病院を渡り歩くが、病状は緩慢にではあるが確実に進行していく。家事を完璧にこなすことに矜持を持っていた妻は、次第に不自由になっていく自分に苛立ち、憔悴していく。著者が「ダムの放水」と呼ぶ、とめどもなく続く呪文のような独語が、家族の神経をすり減らしていく。母の病変を受け入れられない娘たちは、「キモッ」「キショ」「ウザッ」の三語で、親に反抗する。そして、東日本大震災から十七日後、恐れていた骨折が妻を襲う。手術、入院、リハビリ……。

 妻が強く共感した、正岡子規の「人の希望は初め漠然として大きく後漸く小さく確実になるならひなり」(『墨汁一滴』)という言葉に、著者も希望を見いだす。
 動揺する家族を冷静に見つめ、日常の細部を克明に描く著者の筆致は優しい。
「人知を超えたものという意味で、『震災』が、私には『難病』と同義語に思えた」と著者は書く。妻の病気は現在も進行中である。原発事故と同様に――。

[評者]山村杳樹(ライター)

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