軟派本が伝えるアナーキーな空気/『粋人粋筆探訪』

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 古書店の均一ワゴンから、廃棄処分寸前を拾い上げられ、書斎の段ボールに詰め込まれた雑本の山。著者が長年、散策がてらに収集した軟派本を虫干し代わりに読破して、書き手たちを供養し、著者自身は目の保養とタイムトリップを満喫した。回春に役立ったかどうかはともかく、愉しい気分が横溢している。
 先発や抑えは無理だが、中継ぎ要員としてはもってこい、あるいは、一癖も二癖もある名脇役。戦後のジャーナリズムには、そうした要望を満たした文人たちが大勢いた。文章は達意、観察眼は行き届き、軟派な話題を得意とする。彼らを「粋人粋筆(すいじんすいひつ)」と総称して、奇特なことに、忘却の危機から救い出してくれたのが本書である。
「粋」なんてことは、戦争の時代には必要なかった。息を潜めているしかない。兵隊の位でいえば、せいぜいが一等兵の面々である。お国の役には立ちそうもない、というより足手まとい。
 国破れて焦土あり、の戦後になっても、メーデーよりは、露出度が高まった女性の肌やら怪しげなマーケットやらに興味が向かう。戦後という猥雑な世相に柔軟に反応した文章は、いま読み返すと、自由でアナーキーな空気を伝えてくれる。
 粋人粋筆家たちには、副業の物書きが多い。まずは画家と漫画家。岩田専太郎、東郷青児、杉浦幸雄、近藤日出造等々。来日したマリリン・モンローを取材する直前に、惜しくも日劇ミュージックホールで急死したのは小野佐世男だった。
 学者先生なら、マジメな論文は願い下げの紳士たち。高橋義孝、池田弥三郎、田辺貞之助等々。東大仏文の辰野隆と慶応中文の奥野信太郎には、著者の坂崎さんも脱帽した。「仏文学界の三遊亭艶笑師匠」と認定、かたや、“ワガママにして贅沢な行き倒れ的生の閉じ方”の超粋人ぶりに鬼気を感じる。

 辰野隆は、戦後の昭和天皇イメージをつくった昭和二十四年の座談会「天皇陛下大いに笑う」の中心人物だった。「今日は図らずも昔の不良少年が、一人ならず三人まで罷り出でまして洵(まこと)に畏れ多いことでございます」とメンバーの徳川夢声とサトウ・ハチローを紹介した。つまり、あの座談会は、粋人粋筆三人組によるご機嫌伺いだったのだ。
 徳川夢声が週刊朝日、近藤日出造が週刊読売、奥野信太郎が週刊サンケイで対談のホスト役をやっていたことも、粋人粋筆の人間通ぶりを証拠だてるものだろう。ただし、社交はしても、ヘンクツは健在で、著者は夢声の笑い顔に「その眼は冷たい光を放っていた」と感じ、信太郎の顔写真に「冷たい眼光」を発見している。
 粋人たちからは、戦後のラジオ、創建期のテレビの文化人タレントが輩出しているのも興味深い現象だ。プロの夢声は例外としてはずすも、「とんち教室」の石黒敬七ダンナ、「私の秘密」の渡辺紳一郎、「春夏秋冬」の日出造、ハチロー等々。大学の掲示板に休講の貼り紙を出し、その時間にテレビの生番組に出演していたのは奥野信太郎だ。
 物書き専業の「粋人粋筆」は芸能方面の書き手が多い。安藤鶴夫、正岡容、平山蘆江等々。このジャンルは文庫本として復活、新しい読者にお目見えできるチャンスに恵まれやすい。それでも、アンツルをたくさん出した旺文社文庫は、とっくの昔に撤退し、蘆江の『東京おぼえ帳』が出たと喜んでいたら、JR東海のウェッジ文庫もあえなく撤退した。そういえば、辰野隆、奥野信太郎の二大粋人粋筆家の「随想全集」を出した福武書店(現ベネッセ)も文芸書から撤退した。本書出版を契機に、粋人粋筆文庫が出現することに、期待をかけるしかないのだろうか。ちくま文庫、中公文庫、河出文庫あたりがお似合いだが。せめて粋人粋筆アンソロジーが欲しいところだ。
『粋人粋筆探訪』は個々の書き手の再発見とは別に、彼らの執筆の舞台となった代表的な粋人粋筆雑誌をも集めている。なかでも注目したのが、終戦直後の「苦楽」、昭和二十年代後半の「あまとりあ」、昭和三十年代の「漫画読本」である。
「苦楽」は大佛次郎が実質編集長だった。鏑木清方が表紙を描き、木村荘八、川端龍子、中川一政が挿画を描き、色頁の構成を久保田万太郎、永井龍男、獅子文六が手がけるという夢のようなラインナップで、A級粋人粋筆雑誌である。焼け跡でこの雑誌を手にしたらどんな感慨に襲われたのだろうか。戦後的というより戦前的で、平和の回復を実感しただろう。
「あまとりあ」は性科学者の高橋鉄が実質編集長で、売り文句は「文化人の性風俗誌」。粗悪なカストリ雑誌ブームが衰微した後に出現した、性の本格派。「粋人」を狭義に定義すると、この雑誌こそが王道か。
「漫画読本」は「もはや戦後ではない」風俗と盛り場を、漫画と文章でルポした町っ子雑誌。「モダンで上品なお色気と、ほとんどタブーなき諷刺」が満載で、古稀の著者には、面白すぎて疲れるという厄介なもの。著者は「漫画読本」休刊の昭和四十五年あたりを、粋人粋筆の退場の時期と推定している。
 それにしても不良性感度の高い自由人が、続々と出てきた時代だったんだなあ。本の装丁に蛙、河童、狸、瓢箪が多いという著者の発見に、それは関係するのだろうか。その『瓢たんなまづ』という著書があるのが怪人フィクサー菅原通済。小津映画にいつも笠智衆と中村伸郎の同級生役で出演して、酒をうまそうに飲む姿だけは知られているが、著者は通済の文章力、人間力を知って不明を恥じている。通済、読んでみなくては。

[評者]平山周吉(雑文家)

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