元祖 屁理屈おじさん サンキュータツオ/私の名作ブックレビュー【書評】
美しい夕景を見たとき、それを絵に描く人もいれば、文章に書く人もいるし、歌で感動を表現する人がいる。そのなかで、「なぜこんなに夕景が美しいのか」について考える人、またそのこと自体を表現する人がいる。それが批評であり、評論だと私は考える。わかるまで考え続ける。それが目的化している。屁理屈が大好きなのである。
一般に、批評とか評論をする人は、客観的な文章で、フェアな視点で、主観を殺して文章を書いているイメージがある。でも、小林秀雄はそうじゃない! 「なぜこんなに夕景が美しいのか」、そのことについて、つねに「なぜ自分には」この景色が美しく見えるのかという、「自分」の話をしている人なのだ。「僕」という一人称がこれほど多出する評論家はいない。それは、自分の発言に責任をもつということの表れ。なにかと向き合っている自分の表れだ。「評論家目線」とか「上から目線」とかではない、「自分の目線」だ。あくまで対象ではなく「自分」語り。小林秀雄がツイッターをやっていたら、人に対するセコいツッコミなんかしない。自分に夢中なタイプだ。
自分と向き合い、作家をトレースしていく過程を「物語」として紡ぐ。そこには常に「僕」がいる。
小林秀雄ほどの屁理屈おじさんはいない。会って『あまちゃん』の話とか、好きなおかずの話とか、そういうくだらない話をしたい。