自分を脱ぐ旅【書評】
ものすごく乱暴な言い方をすると、女性は二種類に分けられるとおもう。ひとり旅する女性と、しない女性。もちろん、経済的にも物理的にも、女性がひとりで旅できる自由を手に入れたのは、つい最近のこと。ただ、ひとり旅が必要になる時がその人の一生のうちに訪れるかどうかが、分かれ目なのかもしれない。
60年前に、27歳にして既に映画女優として名を馳せていた高峰秀子が単身パリへ旅立った本当の理由はわからない。けれどもし彼女がパリでの独居生活7ヶ月を経ていなかったら、その後の高峰秀子は存在しなかったのではないか、この本を読みながらそんな気がした。
日本では顔を知られすぎていたために、鞍馬天狗のように人目をしのんで道を歩かなければならなかったのが、パリでは大口でアイスクリームをなめながら街歩きができる。そんな解放感の一方で、やはり、ひとりは淋しかったという。彼女はこんなふうに綴っている。
〈私は高熱を出して三日三晩ベッドにひっくり返っていた。外にはシャワーならぬ本物の豪雨が沛然として降り続け、雷鳴が轟き、稲妻が走った。薬を買いに出るにも傘がなく、口に入れるものはボンボン一個なかった。呼べど叫べど、アパートの中には猫の子一匹いるわけではない。私はまたつぶやいた。
「やっぱ、人間は一人ぽっちじゃ生きられねえんだな」〉
この本の編者で高峰の養女でもある斎藤明美は、この時期の高峰は、もしかしたらもう日本に帰らない、パリで死んでもいいとまで思いつめ、危うい精神状態にあったかもしれないと想像する。が、高峰はよみがえる。ひとりで街を歩き、人々の暮らしを観察し――。〈私はふっと振り返って空を見上げた。燃えるように赤い夕焼けだった。突然、淋しさが私を襲い、涙がにじんだ。
「この淋しさを無駄にしてはならない。いつかこの淋しさを、楽しかった思い出として懐かしむようになりたい……いや、なるんだ」〉
じっさい、パリでの独居生活を終えた4年後に高峰は映画の助監督だった松山善三と結婚、その後、パリをはじめ世界各地を夫婦で旅するようになった。夫婦生活が25年になる頃には〈「老」の字のつく夫婦になりつつある私たちにとって、旅行は格好な回春剤かカンフル注射くらいの効果がある〉と、ユーモラスに語ってみせる。
高峰の旅に関する未発表の文章や、彼女の旅日記の写真も掲載されているこの本の中でもっとも美しいのは、松山と斎藤が高峰の面影を訪ねてパリを歩く章だ。高峰が暮したアパルトマンの部屋からは、バルコニー越しにエッフェル塔が見える。木々が長い影をおとすリュクサンブール公園、好きだった煙草を携えて入ったであろうカルチェラタンのカフェ、階段の踊り場にサモトラケのニケが翼を広げるルーヴル美術館、しばしば観劇をしたオペラ座。秋のやさしい光に彩られた写真のそこここに、高峰の気配がただよう。
高峰が暮した下宿のマダムの遠縁にあたる男性にあたたかく迎えられた斎藤は、孤独の中から再生し、人々の善意を今につなぐ母の器の大きさにあらためて思いを馳せる。〈ただ、六十年前、あの部屋で高峰が何か大きなものを得たことだけは、確かだと思います〉とコメントしながら、高峰がしばしば訪れたサン・シャペルのステンドグラスを見上げる松山のプロフィールにもまた、出会う前の未知の妻の姿と、二人で重ねた旅の思い出の数々が交差して見えるようだ。
〈人間は捨てなければ新しく拾うことはできないというのが、私のパリ行きの大義名分だった〉という高峰は、圧倒的な孤独の中で、女優という自分をいったん脱いでみせた。何も持たない等身大の自己を見つめなおすことから再び始めた人生という旅は、人々の記憶に残り、今も愛され続けている。