元信者による赤裸々な報告/『ドアの向こうのカルト』

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 ドアの向こうに立っているのはたいていは「日傘、帽子、カバン、地味なスカート」姿の女性二人連れで、「私たちは聖書の勉強をしています。どうぞお読み下さい」と小冊子などを置いてゆく。キリスト教系新宗教「ものみの塔聖書冊子協会」、いわゆる「エホバの証人」による戸別訪問だ。全世界で七百五十万人、日本では二十万人程度の信者がいると見られている。
「エホバの証人」には兵役拒否、輸血拒否、格闘技拒否などその時々の社会とぶつかってきた歴史があるが、現在、格別バッティングしているテーマがあるわけではない。ただ近年、オウムや統一教会のように「カルトと洗脳」が焦点化されると、「エホバの証人」もつねにその方面からの問いただしを受けるようになった。なにしろ洗脳は個人の人格崩壊であると同時に、家庭の崩壊、社会の崩壊(の遠因)でもあるからだ。
 本書はロス在住で「東京ガールズコレクションを手掛けた天才プロデューサー」(オビ)による、入信から自覚的な信仰生活へ、さらには洗脳を解いた上での脱会にいたる、二十五年間の「エホバの証人」体験の赤裸々な報告である。母親の影響で子供時代に入信した著者はいわば信仰者二世。その彼が距離を置いて“わが信仰”を眺めるようになったのは、一つにはアートクリエイティブな適性と才能が教団によって「この世的」「世俗的」と簡単に否定されたこと。家族を養うようになった際、高卒者には大卒者並みの仕事と収入がなかなか得られなかったこと、などによる。
 教団は当時若い信者に大学進学を勧めず、高卒のまま一刻も早い奉仕活動を求めていた。周辺にはだから、実入りのよさを求めてマルチ商法にかかわる人が少なくなかった由。もちろん内部の人間関係や、「エホバのおかげ」「サタンのせい」「ハルマゲドンは近い」といったたった数フレーズで済んでしまう世界観のあまりのお粗末さも、理由に加わる。文章は軽快にして達意。一気に読める。

[評者]稲垣真澄(評論家)

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